住民が一丸となっての百周年祭、生野区清見原神社・・・・
毎度、だん馬鹿です

鳩山首相の突然の辞任に伴い、民主党代表選が今朝からおこなわれ、菅 直人 氏が新しい民主党代表に選ばれました。
新しい首相の誕生! しかし、「誰がやってもいっしょ」などとよく言われます。
私たちの国、豊葦原瑞穂国(古事記には我が国「日本」をこう表しています)の将来はいかに・・・・?
彷徨える我が国の幾末は・・・・?
それも、「神のみぞ知る」なのでしょうか?
さて、今日の「だん通」は、去る5月30日(日)におこなわれた大阪市西淀川区 野里東之町の入魂式と新調地車について書こうかと思ったのですが、東之町の地車についてはあらためて詳しく書くことにして、今日は同日おこなわれた大阪市生野区 清見原神社の『合祀百周年祭』のことを書きます。

野里東之町の新調地車については、6月1日の『だん通 eo SE』で少し紹介していますので、とりあえずはこちらの方をご覧下さい。
eoモバイル『だん通 eo SE』を見る
明治42年(1909)4月、明治政府の「神社を合祀して神社維持の基礎を確立し祭祀を厳脩」するという方針に基づき大阪府から神社合祀の指令を受け、当時の片江村 素盞嗚尊神社、中川村 松尾神社、腹見村 木守勝手神社、大瀬村 八釼神社を当時の小路村の中央に位置する大友村に鎮座する清見原宮に合祀することが決定され、同年7月30日の夜に「合祀の儀」が厳かにおこなわれ、翌31日には「合祀大祭」が夏祭りを兼ねておこなわれました。
当初は、「小路神社」と呼ばれていたようですが、昭和17年の「皇紀二千六百年」を期に「清見原神社」に改称されました。
昨年7月28日には、合祀百周年記念事業として、社殿・幣殿・拝殿の大修理が完成。7月30日には『合祀記念祭』がおこなわれ、氏地4台の地車が揃って宮入りをおこなったのも記憶に新しいところ。
そして今年、百周年の記念すべき年におこなわれたのが『合祀百周年祭』。
一連の行事も昨年で終わったのかと思っていたら、今年が本当の百周年。


4台の地車が揃って宮入し、神輿は出るは、お稚児さんは出るはの、盛大かつ厳粛な祭事がおこなわれました。

残念ながら、私 だん馬鹿さんは、その頃、野里東之町の入魂式に招待されていたため、その様子は見ることができませんでしたが・・・・。
なんのなんの、我が地車総合サイト『だんじり』スタッフを清見原神社に派遣。優秀なスタッフ?が、この模様を撮影。事なきを得たのであります。




さて、清見原神社の夏祭りは、7月31日・8月1日の両日。
大友・片江・腹見・中川の4台の地車が勇壮に曳行されます。
しかし、宮入り日時は各町で異なるため、神社で一堂に会するのは皆無・・・・。
が、なんと7月30日午後9時から、明治42年の同日おこなわれた「合祀の儀」を記念して『合祀記念祭』が昨年同様におこなわれます。
「だんじり祭」とて、氏子意識の低下・イベント化が危ぶまれる昨今にあって、住民が一丸となっての『百周年記念事業』。
この先、二百年・三百年・・・・と、受け継がれられることを願いながら、今日はこのへんで。
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