新たな地車へのスタート、堺市小阪 昇魂式・曳き納め・・・・
毎度、だん馬鹿です

今日は、久しぶりのポカポカ日和り。
こんな日にこそ、ブラックバス釣り、いやいや地車見物に出かけたいところですが、今年の秋のだんじりシーズンも終わってしまい見に行くところもなし。
祭礼が終われば、地車の新調・買い替えにともなう昇魂式や修理のための抜魂式・工務店搬入などで地車を見る機会もなきにしも・・・・。
昨今、どこで聞いてきたのか、修理で工務店に搬出される地車を見に、地車愛好者が大挙して訪れている光景を目にします。
インターネット・情報社会といわれる今日、それだけ情報が溢れかえっているといえばそれまでですが、ある種怖さを感じる私 だん馬鹿。
多くの地車関連サイト・掲示板などが存在していますが、出して良い情報、出すべきではない情報の見極めこそが大切ではないかと思うのは私だけなのでしょうか・・・・。
さて、今年も祭礼が終わるやいなや、早くも来年の祭に向け動き出した所も多く見受けられます。
曳行時の事故が原因の修理・修復もそうなのですが、来年に地車の新調が完成する所・新たに地車を買い入れる所は特に・・・・。
今までの地車を売却先に引き渡し、新たな地車を迎え入れるための準備も始まるのです。
その節目とも言えるのが、昇魂式・曳き納め。
去る10月24日(日)には、堺市久世地区 小阪と同市上神谷地区 栂で昇魂式・曳き納めがおこなわれました。
まず、今日の「だん通」は小阪の昇魂式・曳き納めの模様をお伝えします。
栂については、少々余談といえる事も書く予定なので、次回の「だん通」でお届けしませう。
小阪の地車は、昭和55年に岸和田市の《池内工務店》先代棟梁 池内福治郎 匠の手により製作された『岸和田型』地車。

彫物は、木下頼定・十場祐次郎・松本幸規らの手によるもの。
また、彫物の一部は、某町地車の修理の際に取り外されていたものが仕様されています。
「昭和55年新調、それも新調からわずか31年で買い替え!」と驚かれる方も多と思いますが、堺市内はもとより、泉州地域においては「最速のやりまわし」志向の昨今、「やりまわし」時の危険性を少しでも回避するために、地車の大型化・上地車から岸和田型への転換が顕著に見られます。
「久世地区最速のやりまわし」と云われる小阪においても例外ではなく、地車曳行時の安全性を考慮し大型化の方向へ動いたのでしょう。
来る平成23年には、岸和田市の《大下工務店》にて地車を新調。彫物は、《木下彫刻工芸》の手により製作されます。

当日は、夜も明けきらぬ午前6時に町内の小阪公園内の地車小屋から曳行開始。

地車には、以前使用されていた飾付けが施され、新調当時を忍ぶよう。

曳き手の多くも、白バッチに黒地下足袋、中には毛糸の腹巻きと、出で立ちも新調当時を思わせる装い。
今や久世地区・八田荘地区東四町の「やりまわし」ポイントとして脚光を浴びる、宮園団地入り口(通称:神出)の交差点では豪快な「やりまわし」を連発。

さすがは、「久世地区最速!」と云われる同町だけあって、なかなかのハイスピードと切れの良さ。

見物に訪れていた多くの人たちから、歓声が湧き起こっていました。
同じ堺市内の町、津久野在住の私にとっても、自町青年団・拾伍人組の諸君に見習ってもらいたい限り・・・・。

神出を後に、小阪の中心部、小阪交差点に向け曳行。「伊勢音頭」を唄いながらの曳行。

往古、上地車を曳行していた頃の祭礼風景さながらである。

小阪交差点でも、豪快な「やりまわし」を披露。この地車での最後の「やりまわし」・・・・。

町内老若男女がこの地車への別れを惜しむかのように見守っていました。

皆々が、この地車での31年間を思い懐かしんでいた事でしょう・・・・。
その後、氏神様である野々宮神社の神主さんを招き、神事がおこなわれ、同日、《大下工務店》へ搬入されました。
この地車は、高石市取石地区 土生へ譲渡され、来年の秋祭りから曳行されます。
また、来春5月には入魂式・御披露目曳行がおこなわれる予定であるとか。
来年に完成する小阪の新調地車も気になりますが、子供地車から岸和田型への転換を図る土生の方も気がかりなところ。
両町にとって、来年は新たなスタート。
新たな地車で、たくさんの思い出つくりと地車の安全曳行を願いながら、今日の「だんじり通信」はこのへんで・・・・。

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