野里中之町の地車(中神車)が大修理・・・・!?
まいど、だん馬鹿です

夏まつり撮影地獄から解放されたと思いきや、8月7日は『東成区民まつり』の撮影。
息つく暇もなしの撮影モード。今月も、市民・区民まつり、入魂式が目白押し。
そして、お盆が過ぎれば『岸和田だんじり祭』もあっと云う間。
11月の初旬まで、だんじり撮影行脚の日々が続く、私 だん馬鹿さん・・・・。
とりあえず、明後日からは5日間のお盆休みと思いきや、休暇中もPCの『だん通 eo SE』の更新が二度、撮影が一日と休暇もどこ吹く風・・・・(涙)。
だんじりオフシーズンが今から待ち遠しい、今日この頃です。
今年も熱っーい夏まつりが終わり、秋に地車の曳行をおこなわない所では、早くも来年の祭礼に向け始動した町もちらほら。
特に、地車の修理を計画している町では、工務店との打ち合わせ、抜魂式、工務店搬入など、オフシーズンも多忙な日々を送られることでしょう。
去る8月7日(日)、酷暑の中での夏まつりを終え、一台の地車が修理のため工務店へと搬入されました。
大阪市内でも、横綱級と呼ばれる名地車、西淀川区野里中之町、中神車。
昭和30年の新調以来、はじめての大掛かりな修理がおこなわれます。

野里中之町のだんじりは、昭和30年に岸和田市の《大義》植山義正 匠により製作された大型の『大阪型』地車。
『大阪型』とは云え、組ものに「化粧枡」を施すなど『岸和田型』地車の要素を取り入れた、云わば『見送り三枚板式折衷型』とも云える地車。
彫物は、名工 木下舜次郎、金光 要などの手によるもの。

上地車の顔とも云える「獅噛み」、見送り正面の「川中島」をはじめ、随所に舜さんの名作が施され、瞬さんファンにとっては涙が出るほどの力作ぞろい。

これも、この地車が横綱級と云われる所以かも知れません。
この名地車も、昭和53年1月11日の終い戎の夜、何者かの地車小屋への放火により火炎に見舞われました。
幸いにも全焼は免れたものの、全体は煤(すす)まみれ。
特に、前から見て左側の見送り部分は焼けただれ、見るも無残な状態。

誰もが地車の復活は無理で、永遠にお蔵入りかと思ったそうです。
しかし、中之町の一人のだんじり狂が、火災で黒ずんでいる表面や焼け焦げた部分の彫物を真鍮ブラシや様々な小道具を用い磨くなどの修復作業。
こうした彼の献身的な働きは町をも動かし、昭和63年の夏には小屋から出され、平成元年には曳行再開。
魔の夜から十年の歳月を経て、中之町の地車は日の目を見、今日まで大切に曳行されてきました。
近年(いつだったか忘れましたが・・・・)、脇障子の彫物が入れ替えられ、地車ファンの間でも「中神車も、次は大修理やなぁー」とささやかれていましたが、この程、岸和田市の《大下工務店》大下孝治 匠の元で、大修理が決定。

8月7日の午前中に抜魂式がおこなわれ、午後から岸和田へ向けて搬出されました。

特に損傷のひどい見送り左の「小碓命(おうすのみこと)、川上梟帥(かわかみたける)を討つ」は、彫替えられるのだとか・・・・。
来夏には修理が完成し、私たち地車ファンの前にその装いも新たになった勇姿を見せてくれることでしょう。
悲運の名地車、中神車、野里中之町のだんじり。
今から来年の夏まつりが、楽しみでなりません・・・・。
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