茶屋のだんぢり漫遊録

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だん馬鹿、岸和田地車祭物故者慰霊法要に改めて思う・・・・

どもぉー、だん馬鹿ですチョキ

連日の猛暑、皆さんはいかがお過ごしでしょうか?
帰省ラッシュで、クタクタの方もおられるのでは・・・・。

私は、12日から昨日までが一応お盆休み。
今日から出社なのですが、例のごとく「だん通 eo SE」の更新や取材などで、実質的な休日は3日間。
家でゴロゴロしていてもと、パチンコ・バス釣りへと出かけてはみましたが、何やら不完全燃焼・・・・。
一時は気分転換できたものの、今週末の炎天下のビデオ撮影が頭の中を過り、身も心も地獄へ突き落された気分。
メタボ体型のためか、暑さにめっきり弱くなった昨今。
早く涼しくなることを願いながら、今日も「だん通」の始まり、始まり・・・・。

さて、昨日8月16日の午後から、当サイトとは姉妹関係にあるPCサイト『だんじり eo SE』の取材のため、「岸和田地車祭 物故者慰霊法要」へ参列させていただきました。

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この法要は毎年、浜の漁師さんが休漁するお盆の8月16日に行われているもので、岸和田祭で亡くなった方々の御霊を慰め、今年の祭りの安全を祈願するもの。
もともとは、大北町の福田志げさん個人が、だんじり祭で亡くなった人の供養にと各町を回り、その人の身元を調べ、昭和27年に執り行ったのが始まりと云われています。
それを祭礼年番が引き継ぎ、今日に至ったものだそうです。

法要は午後1時30分から、岸和田浪切ホールの小ホールでおこなわれました。

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ホールの舞台には、祭壇が組まれ、参列者は神妙な面持ち。
出席者は年番長以下、各町会長、曳行責任者、若頭責任者、後梃子組長、青年団長、各種祭礼関係団体の長、市長をはじめ役所関係、そして遺族の方々。
祭礼関係者は、喪服に黒ネクタイ、役職を明記したタスキをかけて列席されていました。

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法要は、今年の年番長 沼町の山下次男 氏により、お亡くなりになられた方々への慰霊の言葉と祭りでの安全曳行の誓いの言葉が述べられ、厳かに始まりました。

読経の間には、明治31年から今日までに岸和田祭で命を落とされた34人の名前が一人ずつ読み上げられました。
「明治○○年××町において、9月×日、△△歳男子、○○ナニガシ・・・・」、噂では聞いていたのですが、亡くなった方々の名が読み上げられるにつれ、私も神妙な気持ちに・・・・。

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その後は、参列者が順番に34柱の御霊に献花し、法要は午後3時に終わりました。

今やその知名度も全国レベルとなった「岸和田祭」。
早くも町のあちらこちらには、献灯台が立ち、だんじり囃子も聞かれ始めました。

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9月17・18日の本番まで、あと一ヶ月。
7月には「安全祈願祭」、そしてこの「物故者慰霊法要」、次の日曜日は「啓発大会」。
9月1日には「三郷の寄り合い」、二度の試験曳きなどなど、祭礼関係者にとっては多忙な日々が続くことでしょう。

岸和田に住んでいない私とて、生まれ育った堺では、一人の祭礼関係者。
取材とは云え、昨日の「物故者慰霊法要」に参列させていただき、だんじり祭の危険性や安全対策などについてあらためて考え直す良いきっかけであったと思いながら、帰路につきました。

祭りにたずさわる者の誰もが、その危険性を再認識し、安全を確保しながら、楽しいだんじり祭・地車文化を築き上げていくことが、岸和田のみならず、あちらこちらの祭礼で尊い命を失った方々への供養となるのではないでしょうか・・・・。

信濃屋お半だんじり通信
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