茶屋のだんぢり漫遊録

目次

だん馬鹿の華麗なるGW後半戦初日・・・・

どもぉー、だん馬鹿ですパー

今日は、5月4日(金・祝)。
只今、4日午前0時20分。
今しがた、神戸市灘区 五毛天神(河内國魂神社)の宮入り・宮出の撮影を終え、堺の自宅に帰り、遅い夕食を済ませこのブログを書き始めました。
今日も、朝から神戸市東灘区弓 弦羽神社での宮入り・宮出を撮影する予定。
眠たい目をこすりながらの執筆作業、誤字脱字、いかに相成りますことやら・・・・。

さて、今日は私 だん馬鹿さんの5月3日の華麗なる?一日を御紹介。
そんな大したものでもありませんが、なんやかんやと書いてみませう。

昨日は、朝から柏原市大正西の修理完成入魂式の撮影。
事あるごとに、若き保存会会長のM君から連絡をいただくこともあり、ほなら私が撮影にと行ってまいりました。
3月24日(土)に修理を終え町内に搬入された折、「入魂式にはお世話になった大下工務店の親方に地車の前に乗ってもらおうと思ってますねん」と聞いていたので、私も日ごろから親方には何かとお世話になっている手前、その勇姿をカメラに収めようと行ってきた次第。

9時から町内の大正コミュニティー会館にて、神事がおこなわれました。

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10時30分から柏原黒田神社に向け曳行開始。

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聞いていたとおり、大正西のハッピを着た大下孝治 棟梁を前に乗せ、お披露目曳行がスタート。
日ごろから気さくな親方も、今日は少し緊張気味・・・・?

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黒田神社前で、しばし休憩の後は、コミュニティー会館へ。

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途中、曳行には参加していなかった子供らのためにお菓子の配布もおこなわれ、午前中のお披露目曳行は無事終了。

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ここで親方は帰路につき、昼食をはさんで、午後1時30分ごろから、お披露目曳行午後の部がスタート。

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今度は、町内をくまなく曳行。
若き保存会町のM君が地車の前に乗り込み、青年団の若き面々の声もより一層高らかに・・・・。

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お披露目曳行は、夕方までおこなわれたようですが、私 だん馬鹿さんは夕刻からの神戸市灘区での撮影のために一路神戸を目指しました。

ちなみに、今回の修理では大屋根下の枡合いの彫物を新調。
また、見送り正面の『漢の高祖、龍退治』の欠損していた「龍」の出人形彫刻が新調され、見事に図柄がよみがえりました。

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新調彫物は、大阪の《辰美工芸》の手によるもの。
大正西のような『板勾欄出人形式住吉型』地車には、《彫又》の手によるこの図柄が多く彫られていますが、《彫又》にも負けず劣らずのなかなかの出来栄え。見る者を、唸らせていました。

夕刻からは、先にも述べた神戸市灘区 五毛天神(河内國魂神社)の宮入り・宮出の撮影。

宮入りの見どころは、なんと言っても、神社下にある摩耶会館から各町ともに地車の前を持ち上げたままで急な坂道を登りきり、宮入りをおこなうところ。

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今年は、畑原が東灘区呉田より譲り受けた地車での初宮入り。
これまでの地車よりもひとまわり、ふたまわり大きくなっていることもあり、いかが相成ることやらと、地車ファンの注目の的。

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これまでとは勝手も違うのか、やはり大型化された影響か、少々時間がかかったような気もしますが、難なく無事宮入り完了。

この日宮入りをおこなったのは、畑原・五毛・上野、そしてお隣の厳島神社の篠原の4台の地車。

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篠原の地車は、今年で新調から80年目の節目の年。
人間でいえば、『傘寿』と呼ぶのだとか。
昭和7年に、岸和田の名工《絹屋》絹井楠次郎の手により製作された『神戸型』地車。
彫物は、佐生武之輔・佐生善一の手によるもの。

昨日は、地車に「祝 篠原地車誕生 八十周年」と記された懸垂幕を取り付けての曳行。

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また、今日5月4日(金・祝)には、町内の厳島神社にて記念式典もおこなわれるのだとか。
これには、五毛天神の宮本にあたる五毛の地車が招待され、午後2時ごろに地車小屋を出発し、厳島神社に宮入りし、お祝いに駆け付けるそうです。


宮入り・宮出の撮影を終えた後、友人たちとしばし談笑。
それに、畑原の兄貴分 S氏も混ざり、話は尽きることもなくが例年のパターン。
しかしながら、今宵はおうちに帰ってお仕事を済まさぬことには、今日の撮影もままならぬ有様・・・・。

今日の『だんじり通信』も、あとは写真の切り出し、更新作業で終了。
過酷な一日もあとは寝るだけ、ほな、おやすみなさい・・・・。











信濃屋お半だんじり通信
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