はやいもので、祭礼復帰・曳行再開から10周年、岸和田市別所町 入魂式・・・・
どもぉー、だん馬鹿です

前回の『だん通』は、GW中の5月4日深夜というか早朝というか、午前3時過ぎの更新作業。
4時頃に布団の中にもぐりこんだものの、7時過ぎには起床。
午前9時過ぎには、神戸市東灘区 弓弦羽神社にほど近いコインパーキングに車を停めていたという、強行スケジュール。
神戸の祭礼撮影だけならまだしも、入魂式・お披露目曳行の撮影が重なって来ると、つわもの揃いの弊社撮影部隊もヘトヘトの有り様・・・・(特に私は)。
歳のせいもあってか?、恥ずかしながら、私が担当になっていた翌5月5日(土・祝)の岸和田市旧市地区 別所町の入魂式は見事に寝坊。
撮影部隊隊長K君からの電話が鳴った時には、別所町の地車も準備万端、会館前で待機中。

私は、まだまだ出動準備の真っ最中・・・・(トホホ)。
高速を飛ばし、沼町の天神さんに到着した頃には、地車は境内拝殿前に留め置かれ、神事も終わった直後・・・・。

曳行開始には間にあったものの、搬入から宮入りまでを撮影してくれていた撮影スタッフのS君・T君、T君の子分O君には申し訳ない限り・・・・(ゴメンちゃい)。
そんなこんなで、今日の『だんじり通信』は、同日おこなわれていた同市上松町の新調地車入魂式のことではなく、別所町の入魂式のレポートを書いちゃいます・・・・。
別所町の地車は、同市春木南が大正9年に新調したもので、製作大工は永谷喜代松、彫物は西本舟山・玉井行陽を責任者に、西本五葉・金山源兵衛などが手を加えています。

別所町では、昭和7年から10年と、昭和36年から38年の二期わたり地車を曳行していましたが、その後約40年の地車空白の時が続いていました。
「別所町の子供たちにも自分の町の地車を曳かせてやりたい」と、有志たちの熱い思いが実を結び、春木南からこの地車を譲り受けたのが、平成11年。
そして、平成14年の祭礼で、見事曳行再開。悲願の祭礼復帰を成し遂げたのです。
曳行再開を機に、《植山工務店》で枡組みを入れ替えるなどの大修理がおこなわれましたが、はやいもので曳行再開から10年目を迎えた今年、これまでの労をねぎらうかのように、本体の締め直しなどが同工務店でおこなわれ、晴れの入魂式の日を迎えました。
夜も明けやらぬ午前4時40分、搬送車に積まれた別所町の地車は、青年団・後テコをはじめ、関係者が待ちかまえる中、町内会館前に到着。
手際良く搬送車から下ろされ、箱棟が取り付けられ、後の「ふきちり」・幟旗が立てられ準備万端・・・・(私が目を覚ました頃です)。

5時40分、神事のおこなわれる岸和田天神宮を目指し、会館をスタート。

私が同神社に着いた6時10分には、神事が終わり、記念撮影がおこなわれるところ。
各団体ごとに「はいポーズ」、いささか緊張気味・・・・?

朝日を浴びた地車が、とても印象的でした。

記念撮影を終え、6時45分に神社をスタート。
鳥居をくぐるところで、「ふきちり」から町名旗に交換。

北側参道を出るところで、一発目の「やりまわし」。

祭礼時より曳き手は少ないものの、なかなかのハイスピードターン。


その後、会館山側の交差点を2往復、4回の「やりまわし」を見事に決め、午後7時過ぎには南海電車高架下の地車小屋に無事入庫。

町内曳きと聞いていましたが、曳行時間も短く、お披露目曳行というよりはブレーキテストを兼ねた試験曳きの様相でした。
同じ時間帯に、上松町新調地車のお披露目曳行がおこなわれていたためか、余り別所町の入魂式を知る人がいなかったのか、見物人もまばらで、豪快な「やりまわし」を間近で見られ堪能・堪能・・・・。
その後は、私 だん馬鹿さんも、上松町新調地車を一目見ようと車を走らせました。
幾久しく、無事安全に曳行され、後世に曳き継がれて行くことを願いながら、別所町の皆様、曳行再開10周年・入魂式おめでとうございます。
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