5年に一度の『とんとこ祭り』に行ってきたどぉー!
どもぉー、だん馬鹿です!
ここ数日は、夏を思わせるようなエエお天気。

汗ばむほどの陽気に、私 だん馬鹿さんもようやく半袖のポロシャツに袖を通したものの、夜はまだ少し肌寒さを感じます。
私のまわりにも、鼻をグズグズさせている人が少々。
気候の変わり目、寒暖の変化にはくれぐれもご注意のほどを・・・・。
さて、GWも終わりに近づいた去る5月5日の子供の日、兵庫県宝塚市 山本では『とんとこ祭り』がおこなわれ、山本東・山本丸橋の2台の地車が曳行されました。

この『とんとこ祭り』は、400年以上もの昔、天正年間(1573~91)にはおこなわれていたと伝わる、地元の松尾神社・天満神社の御祭神勧進にもとづく春季大祭(神幸祭)で、御神徳を称え、日ごろの神様からの加護に感謝しておこなわれる伝統行事です。
天狗の面をかぶった猿田彦命(さるたひこのみこと)の先導で、神輿行列が郷内を巡り、御旅所では御旅所祭が盛大におこなわれます。
かつては、地元を流れる天神川に神輿を担ぎ入れ、足で水を掛け合う奇祭として知られ、5月8日におこなわれていましたが、昭和37年を最後におこなわれなくなっていました。
しかし、平成元年の松尾神社・天満神社の両社の改修築を機に、5年に一度の祭りとして再興されました。
山本の地は、植木などの栽培が盛んな地で、日本の牡丹栽培発祥の地ともされていることから、別名を『ぼたん祭り』とも言い、御渡りの行列に加わるお稚児さんや役員さんは牡丹の花を手にしています。

この御渡りの行列に加わり曳行されているのが山本東と山本丸橋の地車で、天満神社の山本西の地車は、同神社境内の地車小屋で飾り付けさて、行列の到着を出迎えます。

私が山本の地に到着したのは午前9時少し前。

松尾神社の参道、石段の下には、既に2台の地車が据えおかれ、境内では神事が始まるところ。

境内では、牡丹の花を手にしたお稚児さんや親御さんらの記念撮影がおこなわれていました。

神事が終わり、行列に加わる者は所定の配置につき、御渡りの行列が列を整えました。
午前10時をまわり、まずは山本西の地車が待つ松尾神社へ向けて御渡りの開始。

天狗の面をかぶった猿田彦命(さるたひこのみこと)の先導で、お稚児さん、太鼓台、雅楽、神輿・・・・。




列に加わる者はざっと200人以上。かなり大掛かりな御渡りの行列で、5年に一度というのもうなずけます・・・・。
そして行列の殿が2台の地車。


集落内の道路には道幅の狭い所もあり、大型の『宝塚型』地車にとっては少々難所という場所もありましたが、15分少々で山本文化会館に到着し、しばし休憩。

10時30分に行列は再スタート。
2台の地車も行列のあとを追うようについて行きます。

またまた、難所と言えるコーナーも無事通過。

久しぶりに見た山本東・山本丸橋、2台の地車の曳行風景。

秋祭りさながらの、気合の入りよう・・・・。

最後尾を行く2台の地車は、11時30分に少し遅れて、無事に天満神社に到着。

こちらでも、神事が厳かに執り行われ、一行もしばし休憩。
この間に、飾り付けられた山本西の地車を久しぶりに見学。

「幕式」の『宝塚型』地車とはいえ、彫物もなかなか味わい深いもの。
そうこうしているうちに、神事が終わり行列は御旅所のある山本園芸流通センターに向けて、三度スタート。

それを見送り、私はまたまた山本西の地車見学。
そして、行列のあとを追うように御旅所に着いたころには、2台の地車は据え置かれ、御旅所祭も終わりに差しかかろうとしていた頃。

お稚児さんらにより、牡丹の花が据えられた神輿に献花され、御旅所祭も終了。

行列の一行は、ここで昼食と休憩をとり、午後からは再び松尾神社に向けて帰路に・・・・。
私 だん馬鹿さんは、午後からの神戸市東灘区 本住吉神社での宮入り撮影のために山本の地をあとにしました。
私の住む泉州地域では、めっきり見ることがなくなった御渡りの風景。
往古を偲ばせる衣装での行列と地車の曳行。
秋祭りの地車曳行とは異なった雰囲気の中、曳行に参加された方々もいささか緊張気味の様子でした。
次回の『とんとこ祭り』は、平成30年5月5日におこなわれる予定。
5年後にも、また訪れてみたいものです。
では、今日はこのへんで失礼します・・・・(ペコっ)。
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