茶屋のだんぢり漫遊録

目次

親方、安らかにおやすみください・・・・

どもぉー、だん馬鹿ですパー

5月21日(火)のこと、会社の健康診断のために大阪市内の某病院へ。
病院の前に着くやいなや、一本の電話。

「誰やねん?」とケータイを見れば、私が末席を汚している『地車愛好会 河秋会』の同朋Nくんからの電話。
電話を取れば、「親方が亡くなりました」と涙声・・・・。

親方とは、私が尊敬している宮大工の棟梁 加藤博文 匠。

加藤棟梁は、飛鳥時代の第30代敏達天皇6年(578)創業、1400年以上の歴史を誇る日本最古の企業、寺社建築界の老舗中の老舗、株式会社 金剛組で組内に8つある専属の大工組の中の一つ 加藤組を束ねている親方。
その8組8人親方衆の中でも、筆頭格の棟梁。

N君も、先日まで金剛組の社員として働いていましたが、一身上の都合で 退社。
私がN君を介して加藤の親方と知り合ったのが、平成21年のまだ肌寒い頃だったろうか。
ちょうど、尼崎市貴布禰神社 北出屋敷地車の大修理がおこなわれている時。
作業がおこなわれていた堺市美原区 木材通の《美原加工センター》にお邪魔し、N君から加藤の親方を紹介されました。

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加藤の親方は、これまでに全国各地の神社仏閣を多く手掛けられた方だとは聞いていましたが、お会いするのは初めて。
金剛組の、それも筆頭格の棟梁で、近年手掛けられている地車・山車などの新調・修理を陣頭指揮する親方、どのような方なのか興味津津な半面、私もいささか緊張気味であったような・・・・。

N君が、私のことを自分の「だんじりの先生」とでも紹介していたのか、わざわざ丁寧な挨拶を頂き、私も恐縮しっぱなしだったのがついこの前のことのよう。

その日は、修理中の北出屋敷の地車のことや、地車の修理について、「あぁーやこぉーや」と談笑。
社寺建築についても少しレクチャーして下さり、最後は社寺の現寸図面を引く体育館もあろうかというほど大きな作業所も案内してくれました。

この年の尼崎市北出屋敷・奈良県葛城市太田の修理を皮切りに、柏原市円明・奈良県葛城市竹内、広陵町的場をはじめ、昨年の四条畷市木間、奈良県広陵町箸尾地区 南、奈良県葛城市 太田など、地車の修理の度にお会いし、色々と話を伺う機会も・・・・。

今年金剛組で新調される、泉南市和泉鳥取の「やぐら」の製作を請け負う際には、参考のためにと私の町の地車を数回見に来られ、『岸和田型』地車の手の込みよう、製作にあたった岸和田の大工さんの技にも感心されていました。

親方は、金剛組の筆頭棟梁でありながらも、「わしも、だんじりに関しては駆けだしや、これからも勉強・・・・」と驕(おご)られることなく、謙虚に語られました。

その帰りには、近年傷みが目立ち始めた我が町内のお寺に立ち寄って下さり、堺市内でも屈指の大きさの本堂の傷み具合なども見てくださり、今後の注意点などもアドバイスしてくれました。

昨年2月に《美原加工センター》に立ち寄った時には、修理中の広陵町箸尾地区 南の地車から出てきた古い『和くぎ』を指で転がしながら、『くぎ』のついてのあれこれを1時間余り
私に話し聞かせてくれました。

親方とは、その後、昨年の4月におこなわれた葛城市太田地車の入魂式終了後にお会いしたのが最後で、私が多忙なこともあり、お顔を拝見しに行かねばと思っていた矢先の訃報・・・・。
N君からも、「森君はどないしてるねん・・・」と気を掛けてくれていることを聞いていただけに、時間を割いてでも目と鼻の先の『美原加工センター』や富田林の自宅へお伺いすれば良かったと後悔するばかり・・・・。

今年完成する和泉鳥取の『やぐら』の入魂式には、元気そうな親方のお顔を拝見できると思っていただけに残念でなりません。

私自信、今から20年ほど前に奈良県法隆寺の宮大工 西岡常一棟梁の著書『木に学べ』という本を読み、飛鳥の昔から今日まで脈々と受け継がれる宮大工の技、匠の心に感銘を受けたものの、そのような宮大工の棟梁の方と親しくお付き合いさせてせていただいたのも、私にとって加藤の親方が初めて。

以前から地車製作にたずさわる親方との親交はあるものの、また違ったお話しが聞けることを楽しみにしていただけに、加藤の親方の死は、私から楽しみをひとつ奪い去られたようなもの・・・・(少々不謹慎ですが)。

今日午前11時から富田林市立斎場でおこなわれた葬儀に参列し、最後のお別れをさせていただきましたが、親方のお弟子さんや同業の方々もたくさん参列され、親方の遺徳を偲ばせるものでした。

金剛組内、加藤組棟梁 加藤博文 匠、享年71歳。
ご遺族の方々には心からお悔やみ申し上げますとともに、匠の御冥福をお祈り申し上げます。

親方、安らかにおやすみください・・・・合掌

信濃屋お半だんじり通信
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