夢のまた夢、一夜限りのワンナイトショー・・・・
どもぉー、だん馬鹿です

今から30年ほど前、見よう見まねで始めた「やりまわし」。
私が拾伍人組(後テコ)の組頭をしていた16・7年前には、他町のにいちゃん連中からは「お前とこ早いなぁ~、津久野一やで」などとお褒めの言葉・・・・。
当時は、上地車を曳行していましたが、「津久野最速」と言われていたのが自慢でした。
その後、紆余曲折、いろいろあって「津久野最速」の名も影をひそめ、平成19年7月には待望の『岸和田型』地車を新調。
世帯数・青年団などの曳き手も少なく、曳行もままならないのかと危惧していましたが、他地区他町との『曳き合い』もあり、どうにかこうにか・・・・。
私の生まれ育った堺市津久野地区の祭礼は、先日、10月4・5・6日(金・土・日)の三日間。
私も50歳を過ぎ、今年はいかがなものかと、疑心暗鬼・・・・。
宵宮の4日金曜日は平日ということもあり、曳き手は少ないながらも、「やりまわし」はそれなに・・・・。

祭礼中にも、当サイト用の動画や写真撮影を強いられている私も、その合間をぬって、できる限り地車に付いていこうと思ってはいますが、同級生をはじめ、友人・知人たちからの誘惑もあり、もっぱら立ち話に華を咲かせている始末・・・・。
しかし、本宮の5日(土)の午後曳行時は、津久野駅前の周回コースをフル参戦。
津久野の「やりまわし」の名所、駅横のS字カーブ(通称ヒライシ)で一発目でアーケードの軒先にヒット!

アーケードのトタンはめくれたものの、地車の屋根は角が飛んだだけで、大事には至らず。
目の前で繰り広げられるなかなかのスピード、スムーズな「やりまわし」がそうさせたのか、その後、地車の後ろについて周回終了まで追走。

夜間曳行でも、颯爽と駆け抜け、豪快な「やりまわし」を連発するのが、津久野ならでは。

夜は、S字カーブでビデオ撮影をしなくてはならず、駆け抜けていく各町の地車をカメラで追うことに・・・・。
隣町 下田町は最初に並足で通過。
その次に、我が西組の地車が通過。

なかなかのハイスピードで難なく、S字カーブを駆け抜け、多くの見物人からも拍手と歓声が沸き起こりました。
「なんな、今のまぐれか・・・・?」と、同じ場所にいた運営委員や他町の者たちからも声が掛けられます。
思わず私もニンマリ、私が後テコの組頭をしていた頃の光景が頭の中をよぎります。
しばらくして、二度目のS字カーブ。
これも、難なくハイスピードで通過。

ほかの交差点でもなかなか速い「やりまわし」見せているらしく、私の目の前を通る他町の友人からは「西組どないなってんよ・・・・」、「速いなぁ~」なんていう嬉しい言葉が投げかけられます。

組頭をしていた頃、目標としていた神野町の兄ちゃんから「やっぱ、お前とこ一番速いわ」と言われたのが走馬灯のように・・・・。
まるで夢を見ているような光景に、「また津久野ナンバーワン」を目指せるのかと、頭の中で一喜一憂。
その後、三回目・四回目も接触することもなくハイスピードで駆け抜け、本宮夜の駅前周回は終了。

これも、この日「助っ人」として来てくれていた貝塚市某町青年団およそ20人のお蔭かと、私自身、感謝感激。
この日、他町を唸らせたハイスピード「やりまわし」をバネに、「助っ人」の来ない翌日こそはさらにヒートアップしてほしいと思いました。
しかし、翌日はやはり危惧していた通りハイスピードの「やりまわし」は影をひそめ、昨夜の光景は夢のまた夢、一夜限りのワンナイトショー。

さらに悪いのは、他町がバンバン「やりまわし」を行う夜間曳行時。
津久野名物の「夜のやりまわし」もおこなわずに、我が町だけが仮装パレード。

これでは、昨夜のハイスピード「やりまわし」も水の泡。
「シュン太郎」にだけはなってくれるなと思っていましたが、まさにそれ以下・・・・。
私自身、呆れ返るやら、腹立たしさもつのるばかり。
後で聞けば、私だけでなく、オッサン・年寄連中も怒り心頭であった様子。
往古から、祭りは近隣の村々との威勢の張合いこそが基本・・・・。
よそが地車を買えば、当然のようにそれ以上のものを購入。
良く鳴る太鼓を買えば、さらにその上をいくものを求めるのが信条。
速い「やりまわし」を競い合うのも、それと同じこと。
往古の村相撲なども、同じ・・・・。
祭りを楽しむのはもとろん当然のことですが、それ以前に祭りとは何であるのかを知らなければ、今後の進歩、「津久野ナンバーワン」の奪還はあり得ないのではと思いながら、今年の祭礼も幕を閉じました。
では、今日はこのへんで失礼します・・・・(ペコっ)。
<<前の記事 | 次の記事>> |