茶屋のだんぢり漫遊録

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秋風に村祭りの風情求めて・・・・

どもぉー、だん馬鹿ですチョキ

私の住む大阪府泉州地域のほとんどのところでは、秋祭りもほぼ終了。
だんじり・やぐら・太鼓台など、勇壮華麗な「曳きもの」・「担きもの」の祭りが幕を下ろしました。

しかし、近畿一円に900台はあろうかと言われる「だんじり」の曳行は、11月の初旬まで行われています。

今や「やりまわし」中心の曳行形態が主流となっている堺以南の『泉州だんじり地域』では、神社の祭礼での地車の曳行というよりは、近年どことなしかイベント化しているような感じがします。

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もちろん『祭り』なのですから、自分たちが楽しむのは当然のことなのですが、多くの見物人に来てもらうがために過剰なほど速い「やりまわし」を追求したり、パレード・セレモニーなどではクラッカーに垂れ幕・タオル撒き、はたまたド派手な仮装まで・・・・。

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他町と「やりまわし」の速さを競い合うのは、地車を曳く青年団や後テコを担当する者たちにとっては当然のことなのですが、過剰なほどのセレモニーや仮装大会こそが、まさにイベント化を象徴しているといっても過言ではないでしょう。

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毎年、泉州地域のみならず、あちらこちらの地域でおこなわれている地車の曳行を見に出掛けますが、泉州地域では失われつつある『村祭り』の光景によく出くわすことがあります。

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子供から老人に至るまで、老若男女が曳き綱を握りしめ、和気藹々と地車を曳いているのがまさにそれ・・・・。

休憩になれば、大人たちはいたる所で酒を酌み交わし、あぁーやこぉーや・・・・。
中には、酒も度が過ぎ、口論・喧嘩を始める者も登場。
『祭には、酒と喧嘩が付きもの』というのも、この『村祭り』のよくある光景。

私が子供の頃には、ベロベロになりクダを巻く酔っぱらいを多く見かけましたが、最近はめっきり目の当たりにしなくなったのも事実。
『村祭り』の様相が薄れるにつれ、祭も紳士的になったのかも・・・・。
しかし、調子に乗り、はめを外しすぎる若者たちを多く見掛けるようになったのも、これまた事実。
私が若かりし頃も、同じようなことをしていたのかも知れませんが、これは私が齢をとったがゆえのことかも知れません・・・・。

さて、日本民俗学の基本概念として、『ケ(褻、毛、気)』『ハレ』という言葉が存在します。
一般に、『ケ』は日常的側面を指し、『ハレ』は非日常的な側面のことを言います。

『ハレ』は、「晴」や「公」の漢語に置き換えられ、「晴」は天候の晴天に通じ、「公」は公的な儀式に表現されると言われています。
したがって、『ハレ着』は普段着ではなく公的な儀式に参加する際に着用する盛装や礼装に当てはまります。
人が誕生し、死に至るまで、宮参り・七五三・成年式・結婚式などの冠婚葬祭、また一年の行事においても、正月・お盆・祭礼行事も『ハレ』の機会なのです。

また、おめでたい日の「赤飯」やお正月の「おせち料理」、神様に供える「神饌(しんせん)」なども『ハレの食物』と言えるでしょう。

神社の祭礼やそれに合わせて地車が曳行される日も、まさに年に一度の『ハレの日』。
地車の新調完成・修理完成の日も、また『ハレの日』。

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大阪府下ではあまり見かけませんが、奈良県や兵庫県下では祭礼の地車曳行時に、町会長(区長)さんや氏子総代、祭礼役員さんなどが、紋付羽織・袴姿で地車に乗り込んでいる姿を見かけます。

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また、地車を先導する者・祭りを取り仕切る者が、羽織・袴姿であったり・・・・。

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町会長や氏子総代、曳行責任者や祭礼執行者は、神社の祭礼という公的な儀式を取り仕切る、言わば一生に一度の名誉な役職。
ハレの日のハレの舞台の立役者・・・・。

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私の住む泉州地域では、羽織・袴姿を見ることはありませんが、町会長や曳行責任者の浴衣姿、青年団や後テコなど各祭礼関係団体幹部が肩から掛ける「タスキ」がこれに変わる盛装・礼装なのかも知れません。

その土地土地で、地車の形、曳行形態、祭衣装、祭礼の執り行い方なども様々・・・・。
昭和の高度経済成長期の村社会の崩壊、昨今の宅地化や商業地化などにより農村部の風景も様変わりしていますが、今なお『村祭り』の風情漂う地車の曳行をおこなっているところは数知れず・・・・。

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この週末は、『村祭り』の風情を求めて、各地の地車を見に出掛けてみてはいかがでしょうか

では今日の『だん通』はこのへんで失礼します・・・・(ペコっ)。
信濃屋お半だんじり通信
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