だんぱく会場で見つけた貴重な写真・・・・
どもぉー、だん馬鹿です!
前回12月7日(土)の『だんじり通信』では、先日おこなわれた私も参加している《南河内地車愛好会 河秋会》が主催する『南河内地車博覧会(通称:だんぱく)』の様子をお伝えしました。

恒例の各地区の祭り関係物の展示、今年の祭礼・奉納仁輪伽(にわか)のビデオ上映、本仁輪伽の実演に曳き唄の公演、ビンゴ大会、《関西地車製作協同組合》の地車相談会に、彫物師さんの実演などがおこなわれ、多くの来場者で賑わっていました。

さて、各地区の祭り関係物の展示は、開催が一日だけということもあってか、前年の『南河内の祭り展』よりも、いささか全体的にスケールダウンした感がありました・・・・(そう感じたのは私だけかも知れませんが)。
そんな中、私の目を釘づけにした展示物がありましたので、今日の『だん通』はそれを御紹介!
まずは、一枚の写真を見ていただきましょう。

古びた一枚の写真。
そこに写っているのは、一台の地車。
その形、花戸口(土呂幕正面)の形状、台木の波頭、脇障子の有無などから判断すれば『擬宝珠勾欄堺型』地車。
堺周辺の保有町では、『箱だんじり』と呼び交わされていた地車。
更にもう一枚。

大屋根にぶら下げられた提灯には、「川面青年会」の文字が読み取れます。
そう、写真に収められていたのは、富田林市川面(かわづら)の地車。
現在の川面の地車は、平成5年に八尾市の《彫忠》田中 忠 匠の手により新調完成。

平成14年に平野区喜連の《河合工務店》での修理の際には、見送りに三枚板彫刻が施されていますが、その型式は『石川型』に準ずる形態の地車。
先代地車は、『擬宝珠勾欄堺型』地車であったとは聞いていましたが、写真ながらもその姿を目にしたのはこの日が初めて。
川面の先代地車は、永らく曳き手不足のため曳行休止。
地元の古物商が買い取り、屋形を解体し彫り物を売却したと聞いています。
その後、村の有志十数名が、「何とか地車を復活できないものか」と協議を重ね、平成3年・4年の2年間、地車をレンタルして秋祭りを復活。
翌平成5年、「川面の子供だんじり」として新調完成したのが現在の地車。
写真に写っていたのは、おそらく昭和20年代後半から昭和30年代の秋祭りの地車曳行風景ではないかと思われますが、その確証は・・・・?
先代地車がいつまで曳行され、いつ売却・解体されたのかは、今後の調査の課題。
先代地車の写真が見られただけでも大収穫!
カメラが一般に普及しだすのも、戦後の高度成長期以降。
古い写真に出会うたびに、あるところにはあるものだなぁーと思う反面、なかなか御目に掛かれないのが現実。
町民であっても、古き良き時代の祭礼風景が収められた写真を目にする機会も・・・・。
「そういえば、○○さんとこの爺さん、祭りのたびに写真撮ってたなぁー」、「××さん、ええカメラ持ってたなぁ~」なんて方は、一度写真があるのかないのか尋ねてみてはいかがでしょう。
古き時代の祭礼の様子、地車のことも聞けるかも・・・・。
町会や青年団を上げて、町の歴史、地車のことを調べてみるのも、シーズンオフの良き交流の場になることでしょう。
古い写真が出てきたとか、おもしろい話が聞けた時には、地車研究の貴重な資料かも知れませんので、このサイト・私 だん馬鹿さんにも御一報をお待ちしています!
では、今日はこのへんでオシマイ・・・・(ペコっ)。
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