新生だんじりブログ2回目!!オフシーズンは見学会でお勉強!
こんちわー!
だん馬鹿さんから引き継いだだんじりブログ第2回目になります。
これを『だんじり祭』に例えると、先代だんじり引退後に、どっかから中古だんじりを購入してきて、ちゃんと曳ける様にするために、あれこれ整備してる状態・・・
そんな感じ…
(;^_^)
『ちょっとこのコマ、履かしてみよか?…』
『提灯吊るための金具、この辺でええか?…』
とか言いながら、だんじりを整備してる状態で、試験曳きすらまだ先の話…
正式な曳き出しを迎えるまで、どうぞ暖かい目でお付き合い下さい!
(*^_^)/
今回は、3月9日(日)に行われた、2台のだんじりの見学会の様子をお伝えします。
まずは1台目、東大阪市は長瀬地区・北蛇草のだんじりです。

昭和10年製作で、大工:植山義正、彫師:木下舜次郎、玉井行陽、川島暁星などの手による作品。
平成13年(2001年)の秋祭終了後から、岸和田の大下工務店にて大修理、平成15年(2003年)3月に完成し、現在の姿になりました。
改修時の彫師は、木下彫刻工芸。
当サイトの姉妹サイト、『eo Special Edition』でも、この見学会の事は触れましたが、こちらではもうちょい違った写真を紹介しましょうか…
(o^∀^o)
まずは大屋根正面

獅噛みと懸魚。
懸魚は平成の大修理にて彫り替えられた部材で、

修理前は顔が正面を向くタイプの朱雀でした。
正面虹梁:楠公子別れ桜井の駅

奥に見えるは中央欄間:天の岩戸
大屋根を支える枡組と隅出す

敦盛呼び戻す熊谷次郎

三枚板・左:薄田隼人、徳川本陣討入

三枚板・右:後藤又兵衛の勇戦

そして三枚板正面:佐久間玄蕃、秀吉本陣乱入

個人的には、佐久間玄蕃よりも、それを迎え撃たんとする秀吉方の家来・中川清兵衛の、この表情が好き!

ワタクシ実は、この北蛇草のだんじりとは少々馴染みがあり、平成の大修理の際にも、工務店に出向いてその作業を見学させてもらったりもしました。
昭和の終わり頃~平成にかけてワタクシがあちこちのだんじりを見て回り始めた頃の布施、長瀬、生野区近辺には、明治・大正期に製作されただんじりが多く、昭和に製作されたこの北蛇草のだんじりは、近隣にある中川、西足代のだんじりと並んで、異彩を放つ存在でした。

平成に入り、岸田堂、柏田、そして大蓮に至るまで、近隣に平成の新調だんじりが増える中でも、この北蛇草のだんじりの存在感は、いまだ揺るぎないものであります。

今回、見学会を主催した上地車新報社様、お世話頂いた北蛇草の皆さま、ありがとうございました。
m(_ _)m
さてさて、お昼までに北蛇草を後にし、午後に向かったのは高石市の大園。

この日はこちら大園でも見学会があり、ダブルでだんじりを見学させてもらいました!
(*^_^)v

こちら高石市・大園のだんじりは、岸和田市・東岸和田地区の流木町が昭和9年に新調したもので、大工は《絹屋》の絹井楠次郎、彫師は開親子、玉井行陽など。
平成25年、流木町のだんじり新調に伴い、大園が購入。
昨年の祭礼より、大園のだんじりとして活躍しています。

平成に入り、新調だんじりが大型化される昨今となっては小ぶりなだんじりとなりましたが、均整のとれた美しい姿見はワタクシ好みです。
(* ̄∀ ̄)v
美しい切妻屋根。

顔つきの良い木鼻の唐獅子


番号持ちは『牛若丸の鞍馬山修行の場』で、辰美工芸によって彫り替えられたもの。

正面土呂幕は『川中島の合戦』

右松良:『弁慶懲打安宅の関』

右土呂幕:新納武蔵守

見送り正面より:『大坂夏之陣』

この写真右の馬乗りは、木下彫刻工芸にて彫り加えられたもの。

このだんじりの印象と言えば、やっぱり流木町での時代で、宮入り時、矢代寸神社へ向けての遣り廻しの、その速きこと、正確なこと!
小ぶりなだんじりならではの小回りの良さは、宮入りのタイトコースで如何なく発揮され、遣り廻しをドンピシャに決めて、神社参道へ躍り込むように疾走してゆく様は、誠に爽快でありました!
ワタクシ、大園での入魂式は見させてもらいまして、その機敏で正確な遣り廻しを大園でも継承するのを見届けました。

これからも大園のだんじりとして、キレの良い遣り廻しをバンバン決めて、末永く愛され、活躍される事を願っております。
今回、見学会をお世話頂いた大園の皆さま、ありがとうございました!
m(_ _)m

え~、だん馬鹿さんから引き継ぎました新生だんじりブログ、第2回目は如何でしたか?
これからも試行錯誤しながら、手探りで更新して参ります。
ひとまず今回は、この辺で…
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