橿原で出会った『辻友』のだんじり《後編》

前回から引き続き、橿原市は十市町の、南垣内のだんじりについて触れていきますよ。

『住吉型』のテイストを含んだ、ワタクシ好みの」『大阪型』のだんじり。
では今回は、このだんじりの彫物を見ていきましょう。
一つ一つの作品が、どれもかなり秀逸であり、ワタクシ好みのオーラを発しています。

まずは大屋根廻りから。
正面、獅噛みであります。

前回も登場した、三田市の下相野とほぼ同一の顔つきと看て良いかと。
大屋根の拝懸魚、そして車板の龍。

摺り出しに取り付けられてある『旗差し』に遮られて見えにくいのですが、小屋根の拝懸魚の『猿と鷲』は、大屋根の拝懸魚よりも立体感があって迫力ありますよ。

このだんじり、南垣内へ来る前はどこで曳かれていたものかハッキリしないのですが、他の十市町のだんじりと同じく、堺のどこかで曳かれていたものとするならば、この『摺り出し』は堺で新たに取り付けられた・・・ものなのではないですかね~?

仮にこのだんじりが《天王寺》近辺で『大阪型』として製作され、どこかの町を経て堺へ、・・・或いは、『仕入れだんじり』として販売されて堺へ・・・いずれにせよ、何らかのルートで堺のどこかが購入した際に、付け加えられたのではないかと推察するのですが、どうでしょうか?

さてその『摺り出し』のおかげでこちらも見えにくい、見送り三枚板の正面、『佐久間玄蕃の秀吉本陣討入り』です。

この構図、見たことあるわ。
ワタクシにとって、かなり馴染みの深い、あのだんじり・・・
そう、東大阪市は横沼のだんじり。

ワタクシがこのだんじりを後ろから姿見を拝見した時に
『横沼によう似てるなー』
って思ったのが第一印象。

その原因がこの三枚板正面であることは一目瞭然でありました。
では、横沼の三枚板正面と見比べてみましょ。

↑横沼
すると・・・お!人物の配置が左右逆になっとる!

↑南垣内
しかし、鏡に写したかのような対称ぶり。
わー、これはスゴイなぁ・・・
三枚板の右側・加藤清正も、横沼の加藤清正とよく似てますよ。

↑横沼

↑南垣内
反対側は違うようなのですが、これについては、ちょっと確認したいことがありますので、宿題としておきます。
この写真を撮っていたのは4月16日(土)で、翌日のパレードに向けての搬入の時だったんですが、そのパレード当日の17日(日)には、横沼のN島さんが見に来られてまして、
『よう似たーる』
と、横沼のだんじりによく似ていることを認めておられました。

2回にわたってお送りしました、橿原市は十市町の南垣内のだんじりでした。
ずっと回数を追って十市町の各だんじりについて触れておりますが、実はまだ後に控えし『名地車』があるんよなぁ・・・。
ご存知の方は、
『おぅ!まだあのだんじりが出てきてないなぁ』
って思っておられるはず。
しかーし!
十市町のだんじりの話題ばっかり続いても・・・でしょ?
ちょっと温存しておいて、また追い追い書き綴っていきましょうかね~?
ひとまず今回はここまで・・・
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