茶屋のだんぢり漫遊録

目次

橿原で出会った『辻友』のだんじり《前編》





5月に入ったと思ったら、あっと言う間にゴールデンウィークも最終日となってしまいました。


この大型連休中は、東大阪市の『布施だんじりパレード』に始まり、神戸市東灘区、及び灘区、兵庫区の各地区では、今年の祭礼の先陣を切って『だんじり祭』が華々しく開催されました。




知らぬ間に、『だんじりシーズン』が本格化していた・・・そんな感じです。



さて今週のブログは、ワタクシ自身が連日、『神戸だんじり祭』の取材であったことと、加えて『だんじりセミナー』の第2回目とがありましたために、更新がズレ込んでしまいました。




ちょっとまた連日更新になりますので、ヨロシクお願い致しますよ!





では、ブログ本編の方は、まだまだ書き足りない、奈良県は橿原市、十市町のだんじり について。


今回スポットを当てて見ていくのはこちら!



十市町、南垣内のだんじり


姿見から醸し出される、ワタクシ好みの雰囲気。



これまでも、彫師《辻友》辻田友治郎が携わっただんじりはこのブログでもいくつかご紹介してきました。


大阪市旭区の生江、兵庫県三田市の下相野、東大阪市の吉原、同じく東大阪市の長田東など。




それらのだんじりと同じような匂いのするこちら南垣内のだんじり、製作年代は明治期と推測され、大工は特定されておりません。

屋根の形状を見るに、三田市の下相野や旭区の生江などによく似てますね~。





↑三田市 下相野


以前、東大阪市の長田東のだんじりについてご紹介させて頂いた時にも触れていますが、三田市の下相野のだんじりを製作したとされる《天王寺の大工》のことが頭をよぎります。



↑東大阪市 長田東



現在も残る四天王寺の門前町、『椎寺町』(現・四天王寺1丁目)は、日本最古の会社とも言われる《金剛組》のお膝元。

江戸期から明治にかけては数多くの大工職人が居住し、だんじり製作も手がけていたのはどうやら間違いない様です。


これらのだんじりに《辻友》辻田友治郎の彫物が多いのは、当時の《辻友》は大阪の上本町に居を構えており、四天王寺まではここは今も熊野街道沿いに寺町が立ち並ぶエリアです。

《辻友》は仏壇彫刻も多く手がけるかたわら、だんじり彫刻にも数多くの作品を残しています。




そうした繋がりから、《天王寺の大工》とは関わりが深かったのではないかと思われます。


だからと言って、この南垣内のだんじりの製作大工を《天王寺の大工》と結論づけてしまうのは早計ですが、可能性としてはかなり見過ごせないのであります。




そしてこのだんじりの型式ですが、当サイトの紹介では『住吉型』とされていますが・・・



確かに後ろの柱から摺り出しがあり、この構造を見れば『住吉型』なのですが、下部に目を移せば台木は波切りではなく『平台』であり、また柱間口の間隔などから見ても、ベースは『大阪型』と看て良いと思います。


摺り出しは・・・



後から追加されたもの・・・ではないのかなぁ~?
と思っております。


では次回は、このだんじりの彫物について触れていきましょうかね。





明日更新ですよ。






(次回に続く)


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