茶屋のだんぢり漫遊録

目次

かつて時代を呼び込んだだんじり、久々の修復


早いもので8月も終わり。
台風が立て続けに東日本を襲い、かなりの被害も出ている模様。
心よりお見舞い申し上げます。


さて、当ケータイサイトのユーザーの皆様は、もうお気づきの方もあろうかと思いますが・・・

ホーム画面に『アーカイヴ』というコンテンツが追加されております。

それと、毎年恒例の『岸和田だんじり祭プレゼントキャンペーン』のお知らせが追加されています。

こちらに関しては、次回!

詳しくお伝え致します。


ひとまず今回はこちらの内容を・・・



前回、和泉市・郷荘地区桑原町の新調だんじり完成に伴う入魂式の模様をお届けしましたが、今回は同じ日に岸和田市の春木地区にて行われた、戎町の修復完了に伴う入魂式の模様をお届け致しましょ!




午前6時に町内のだんじり小屋を出発しただんじりは、そこから町内の定位置を経由して、入魂式のため弥栄神社へと向かいます。


ワタクシ自身は、その遣り廻しの模様を捉えようと神社の大鳥居前にてスタンバイ。

そのワタクシの待ち構える宮前へと姿を現した戎町のだんじりは・・・



化粧飾りの金綱を変更しておりました!


戎町のだんじりといえば、昭和63年の新調当時から『玉飾り』の金綱がトレードマークとなっていましたが、この度、少しレトロな雰囲気を醸し出す『8の字型』の金綱へと変更された模様。




さぁその姿で弥栄神社へ向けて、気合いの込もった遣り廻し!



見事に決めて境内の参道へと吸い込まれて行きます。




先ほどもちょいと触れましたが、このだんじりは昭和63年の新調で、当時は春木地区のみならず、泉州地区一帯における平成のだんじり新調ブームの先駆けとなっただんじりです。





昔々の春木地区といえば、各町が合同で春木北と春木南の2台のだんじりを曳き廻すといったものでした。

昭和の30年代あたりから、春木北のだんじりを曳いていた各町が、それぞれ独自にだんじりを持つようになりましたが、それらはまだ自町で新調したものではなく、他の地域から購入したものが多く、大きさも現在に比べて小ぶりなだんじりがほとんどでした。


戎町のだんじり新調に先駆けて、新興住宅地の松風町が、昭和61年に《池内工務店》にてだんじりを新調し、春木地区に参入しましたが、この松風町のだんじりは、それまでの春木地区のだんじりに合わせた寸法でした。


そして迎えた昭和63年7月31日・・・

春木地区に衝撃が走ります。



入魂式の当日、春木の体育館前に姿を現した戎町の新調だんじりは、四手先九段の枡組を積み上げた、これまでにない大型だんじりだったのです。




このだんじりを製作したのは岸和田の《大下工務店》で、現在の棟梁・大下孝治 師が、初めて製作した『岸和田型』のだんじりで、師の出世だんじりとされています。




さらに彫師は木下賢治 師で、現在だんじり彫刻界にその名を轟かす《木下彫刻工芸》が、まさに不沈を賭けて取り組んだ一世一代の作品で、今も、正面土呂幕に輝く『佐々木高綱、宇治川の先陣争い』は、師の代表作として知られています。




当時、この戎町のだんじり新調は何から何までセンセーショナルで、これが春木地区はおろか泉州地区一帯に『一大新調ブーム』を巻き起こす、まさにその呼び水となったのです。




あれからもう30年近い年月が過ぎ、多くの新調だんじりが生み出され、その流れは今も続いています。

戎町のだんじりも幾度かの修復を経験し、平成16年の修復では、左右の松良を彫り替え
今回再び《大下工務店》の手に委ねられ、修復を完了しました。




桑原町でも新調だんじりを多くの見物客が取り囲んでいるその日に、ここ戎町でもたくさんの見物客が、その遣り廻しを見守っていました。





さぁ、いよいよ9月。

今年はまだまだ残暑が厳しいらしいですが、祭礼本番はもうすぐそこまで迫っております。




戎町の皆さん、この度はだんじり修復、おめでとうございます。




信濃屋お半悠遊!だんじり録
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