鶴見東之町のだんじり・・・頻繁に見ているようで・・・

ズバッと撮って出し!・・・て訳でもないのですが、今回は本日見てきた事をざっと書いちゃいます!
9月10日(日)
この日も先週に負けず劣らず、色々な『だんじり行事』がありました。

泉州地区では、泉佐野市・上之郷地区は下村と、堺市・八田荘地区の東堀上町がそれぞれ入魂式。

他にも堺市・深井地区では深井北町の新調30周年記念曳行もあり、それぞれたくさんの見物客で賑わったのですが・・・
今日お届けするのはちょいとレアなネタ。
大阪市鶴見区の区民まつりに、鶴見東之町のだんじりが参加し、鶴見緑地内にある展望塔のたもとに据え置かれ、展示されました。

この鶴見のだんじりについて、ちょいと触れときたくて今回スポットを当てるのですが・・・
現在、鶴見区の鶴見神社の祭礼に曳き出されるだんじりは2台で、鶴見東之町と西之町のだんじりであります。

が・・・!
現在では、東之町、西之町といった町割りはなく、2台のだんじりを『鶴見地車保存会』がまとめて維持管理しており、地車庫も神社とは別の場所に(御旅所・・・やったかな?)2台一緒に格納されてあります。
現在、祭礼日にこの2台のだんじりを同時に曳行する機会はほとんどなく、保存会として用途に応じて使い分けているような節があります。

例えば、夏祭に曳行するのは西之町のだんじり、何かイベントに参加させるなら東之町、4月の金剛寺で行われる『花びより』の時には両方・・・みたいな感じで、現在では東之町、西之町としてではなく、どちらも『鶴見のだんじり』として活躍している・・・といった形です。

さて、それを踏まえて、今回は東之町のだんじりを見ていくのですが・・・
今でもだんじりには『東之町』の提灯が吊られているこのだんじりは、西之町のだんじりに比べると少し大きく、見栄えの良い姿見をしています。

製作年代は不詳ですが、『大佐請取帳』にその名があり、《大佐》作のだんじりであります。
屋根は修復時に取り替えられている模様・・・
彫師は当サイトの『だんじり紹介』のページには《小松》一門と記載されているのですが、正直なところ、色んな彫師の手が入っているのでは?・・・とも思えるのですなぁ。

製作されてから現在までに、幾度かの改修を経験しており、その都度、彫物も追加もしくは交換されてきた形跡もあり、姿見も原型からは少々遠ざかっているのではないかと思われます。
獅噛みは昭和30年代に彫り替えられたものでありましょう。

見送り三枚板や土呂幕に残る彫物が、このだんじりの製作当時のものであると思います。

この日は飾り物や提灯も付いており、また後ろ正面には大阪独特の『護り』が編まれてあるので、そんなにまじまじとは拝見してないのですが、《小松》一門という看立てもあり、《辻田》一門が手がけた西之町と並んで、もとは明治のだんじりであると看るのが妥当ではないでしょうか?

鶴見のだんじりも、頻繁に見ている様で、案外ちゃんとは見ていなかった事が、こういう時に痛感されてしまいますね。

夕方になり、区民まつりも終了してから、このだんじりも帰路につきました。
曳行許可は降りてないそうで、お囃子も鳴らさずに移動のみという形で、小屋までの道のりを帰って行きました。

このように大阪市内では各区ごとに『区民まつり』が開催されますが、広大な鶴見緑地を使って開催される鶴見区の区民まつりでは、多数のだんじりが主役を務めるというタイプのものではない様です。
来週もとある『区民まつり』でだんじりが1台参加するそうなのですが、もう『岸和田だんじり祭』の本番を迎えていますのでね~。
ちょっとお届けするのは難しいかも知れません・・・
今回はここまで。
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