信濃屋的・夏祭総括《其之参》

お盆に堺市の金岡町の盆踊り大会(太鼓担ぎ)などがありまして少し日にちが開きましたが、前回からの続き。

今回で締めますよ。
『夏祭総括』の第3回目となります。
海の日の前の土日に集中する各地の夏祭が終わると、『夏祭シーズン』も後半に入ります。
そして7月25日で『天神祭』が終了すると、それまでほぼ毎日どこかで行われていた夏祭が、一旦途切れるんです。

そして満を持して最後にやって来るのが、7月31日と8月1日にわたって行われる祭礼で、この日をもって『大阪夏祭』と呼ばれるものは締めくくりを迎えるわけです。
だんじりの登場する祭礼としては、生野区の清見原神社、東成区の深江稲荷神社、そして西淀川区の野里住吉神社、それぞれの夏祭をもって、『大阪夏祭』は終焉を迎えるわけですな。

但し、その後も吹田市の泉殿宮や、尼崎市の貴布祢神社のご存知『山合わせ』など、夏祭が完全に終わる訳ではないのですが、ひとまず、古くからの言い伝えにある『愛染さんに始まり住吉さんに終わる』と言われる『大阪夏祭』は、8月1日をもって幕引きとなるとされています。
その『最後の大阪夏祭』に先駆けて、7月30日に行われるのが生野区は清見原神社の『合祀記念祭』でありまして、昨年はその10周年を祝して清見原4台のだんじりによる『記念曳行』が行われたのは記憶に新しいところ。

さて同じ7月30日、西淀川区の野里住吉神社では夏祭に先駆けて『前夜祭』なるものが行われています。

特にだんじりを曳行する訳ではないのですが、昔から野里では、東之町と中神車 は前日の夜からだんじりを拝殿前に出して、夜通しだんじりの守りをして祭当日の朝を迎えるのが仕来りだそうで、現在もそれは継続されているとの事。

それならば前日の夜に舞台を設営して、お互いお囃子を披露してはどうかとなり、昨年から『前夜祭』と銘打って行われております。

西之町は前日の夜からだんじりを据え置く風習はないのだそうですが、前夜祭には参加して順番にお囃子を披露していました。
明けて7月31日は祭礼宵宮。

朝から西之町のだんじりも拝殿前に据え置かれ、北之町の枕太鼓とともに神事を執り行い、午前9時半に一斉に宮出しをします。

この一斉宮出しの空気はワタクシ個人的に昔から大好きで、『大阪夏祭』のオーラスを飾る二日間の幕開けを感じさせてくれます。

野里の夏祭と言えば、31日の夜8時頃から、通称『倉知通』(別名:追い合い通り』にて行われる『追い合い』が有名になりました。

2台のだんじりが向き合い、手打ちの後、片方がバックで全速力で下がり、もう片方が前進で追いかけ、それを数往復繰り返すというもの。
そのスピード感とスリリングな迫力が人気を呼び、近年では多方面から見物客が集まる様になりました。
但し、決して広くない道幅に見物客が溢れかえると、却って『追い合い』がしにくくなるという側面もあるので、見に行かれる方にも注意は必要かも知れません。

さて翌日8月1日はいよいよ『大阪夏祭』の最終日となります。

野里では前日と同じ様に午前中からだんじりが曳行され、夜の曳行時には前日よりも少し早いタイミングにまた『倉知通り』にだんじりが集まり、『追い合い』が見られます。

特に『追い合い』をするためだけに集まっている訳ではなく、だんじりの後部を差し上げて回すのもパフォーマンスのひとつであります。
そうして約1時間近く『倉知通り』にたパフォーマンスを披露したのち、夜は9時半から宮入りへと移ります。

北之町の枕太鼓を先頭に、だんじりの宮入り順はローテーションで回りますが、各町のだんじりは神社の鳥居から太鼓橋までの参道にて、あらん限りの力を振り絞って最後のパフォーマンスを行います。

そして、約20分の持ち時間を終え、意を決して太鼓橋を越えて拝殿前へとなだれ込むと、夏祭は終わりを迎えるのであります。

今年の夏はですね~、ワタクシ自身はあまり出歩いておりませんで、要所要所しか祭礼に関わりませんでした。
そのため『総括』と言ってもあまり中身の濃いものにはならなかったのですが、やっぱりお盆を境にいよいよ岸和田、そしてその後の怒涛の『秋祭シーズン』を迎える前に、ちょいと整理を行なっておくために、こうして『総括』という形で振り返りました。

気づけばお盆も過ぎまして、8月も後半。
一歩一歩、その足音が近づいてきております、岸和田だんじり祭。
次回のブログでは、近づく『岸和田』に関連したお知らせと、その他もろもろのお知らせをお届け致します。
では今回はここまで・・・
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