去年の年末に立ち戻ろう…《其之弐》

前回は12月3日(日)に行われた富田林市・若一のだんじりの昇魂式をお伝えしましたが、今回は昨年の年末ネタの第2弾として、こちらをお届けします。

はい、こちらは神戸市東灘区・野寄のだんじり。

若一の昇魂式から1週間後の12月10日(日)に、
『張菜棒(ちょうさいぼう)新調交換に伴う試し曳き』
が行われました。
『張菜棒』・・・一般的に言う『担い棒』の事です。

『張菜』という言葉にも色んな漢字が充てられると思いますが、言葉の意味は『舵を取ったり差し上げたり』という、だんじを操作する一切』の事であります。

なので、『張菜棒』=『舵取り棒』
と解釈するのが分かりやすいかな。

この『張菜棒』も地域によって色んな呼び方がありますけどね。
例えば大阪市内や東大阪市の西側の地域だと、だんじりの舵を取ったりする際に『肩や背中をあてがう』事から、
『肩背棒(かたせぼう)』
と呼びます。
その地域では、停めてあるだんじりをいざ動かす際にも、
『肩背入れよー』
って指示するぐらい、『肩背』って言葉が浸透しています。

まぁでも一般的には『担い棒』が共通語でしょうね。
この場合、だんじりに限らず太鼓台や神輿にも用いる事が出来ます。
『岸和田型』のだんじりを曳行する泉州地方では、元来『担い棒』で動かすという発想がなく、だんじりの腰廻りを囲む様に取り付けられている様から『枠』なんていう呼び方をします。
ちょっと前なら岸和田や泉州の人で、『岸和田型』のだんじり以外に馴染みのない人が、担い棒のついてる『上地車』を見た時に、
『なんな、このだんじりよー、枠ついちゃーらぁー』
みたいな感じの言葉を憚りなく発する事もありましたが、今の時代ネットが普及し、これだけ色んな地域のだんじりの写真や動画を無尽蔵に見る事が出来る様になって、そういう言葉も次第に聞かれなくなって来ましたけどね。

さてさて、そんな『担い棒』、神戸などの地域では『張菜棒』(←漢字表記は他にもあり)の新調交換し、時期外れの年末にお目見えした野寄のだんじり。

新しくなった部材のお祓いと、新しくなった部材の感触を確かめるための試し曳きを行います。
こちら野寄のだんじりをブログで詳しくご紹介するのは初めてかも知れません。
このだんじり、写真でも分かる通りかなりの大型で、堂々たる『神戸型』の姿見をしておりますが、元は『堺型』のだんじりで、見送りに三枚板の彫物を持つだんじりなのです。

製作年代は幕末から明治にかけてと思われ、彫師は『服部』一門とされております。

昭和40年頃、大阪狭山市の半田村から堺市は陶器地区の隠に売却され、昭和60年には同じく堺市は久世地区(東山)の枡矢へ売却。
枡矢でこのだんじりが曳行されたのは1年だけで、昭和61年に《太鼓正》を経由して野寄が購入しました。

野寄へ来てからは大工《平間利夫》師と彫師《河原和夫》師および《川原》一門により改修に次ぐ改修を重ね、現在の様な『神戸型』へと変貌を遂げています。

見送りに三枚板の彫物を持つだんじりですが、神戸をはじめとする兵庫県は『幕文化』の地域であり、祭礼時は彫物の上から幕を巡らしています。

さぁさぁ、この日は午後から始められた曳行ですが、11月の『だんじり in 大阪城』以来、もう終わったと思われていた2017年の『だんじり行事』が、12月に入ってから追加的に情報が入ったかして、明らかに方々から集まったと思われる見物客が多数詰めかけ、大賑わい。

思えばこれが2017年最後の『だんじり行事』となった様で、詰めかけた『だんじり愛好家』の方々は、これがその年の『見納めだんじり』とばかりに、盛んにカメラを向けておられました。
一応これにて、昨年末に書き残していたネタは終了です。
年末に富田林市の若一と、神戸市の野寄を拝見出来たことで、1年を通してだんじりの見られない月は、なくなりました。
良いか悪いかではなく、そういう時代なのですね。

おかげさまで、ワタクシも年がら年中だんじりをネタにブログ書かせてもらえてるんですから、まぁ喜ぶべき時代というところでしょうか・・・
次回はまた今年のネタに戻りますんで。
今回はここまで。
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