このだんじり、どのように生まれ変わる?

異例のコースを辿る台風が接近しておりまして、またまた西日本に大雨の危険が迫っております。
台風の進路にあたる地域にお住いの皆さん、くれぐれもご注意下さい。
さて、今は夏祭シーズンですが、ブログでは過去に置き去りにして来たネタを拾い集めてお届けしています。
5月12日(土)・・・
前回お送りした門真市三番のだんじりが工務店から搬入されたのと時を同じくして、寝屋川市のとある場所ではだんじりが大修理を受けるべく、神社にて抜魂式が行われておりました。
こちら!

寝屋川市の寝屋のだんじりです。

もう、パッと見から何か伝わって来ませんか?
ご覧の通り、『北河内型』の中でもさらに古い型と言われる『交野型』のだんじりで、かなりの年代物であります。
製作年代は文政・天保年間と言われており、少なく見積もっても170年、古ければ200年近い年数を経ただんじりであります。

そして何より、これまで一度も大規模な修復を経ておらず、原型を保っております。
そう、江戸時代の姿のまんま。
用材も、彫物も・・・

大工・彫師は不詳でありますが、その彫物はひとつひとつ、目を見張る作品。

それら彫物の数々をお写真にてご紹介しながらお話を進めていこうと思いますが、この文化財的価値の高いだんじりが、初めて大修理される事になりまして、だんじり大工としては新進気鋭の若手・泉佐野市の《大真工務店》に委ねられる事となりました。

まぁ、搬出までのお時間を利用して、色々なお話をして行きましょか。

ここ『寝屋神社』は、京阪・寝屋川市の駅のある市の中心部からはかなり離れた山地にありますが、その名の通り、付近を流れる川の名前、そして市の名前となる寝屋川の元となった場所でありましょう。

神社の正面はこの鬱蒼とした森に囲まれた石段の山道を登る事になります。
こちらは境内にある寝屋のだんじり小屋。

交野市の星田のだんじりについて書いた時にも触れていますが、『北河内型』のだんじりは『讃良型』と『交野型』に分類され、『交野型』の方がより古い型とされています。

『交野型』のだんじりの特徴はご覧の通り背が高く、屋根の形状は『讃良型』よりも平らで、中央の『むくり(棟)』が大きくないことが挙げられます。

中には『むくり』が大きく丸みのある交野型も存在しますが、共通しているのは、この屋根の両端を折り畳めるようになっている『折り屋根式』になっています。

見送り・土呂幕部分も幕を巡らす形式で、製作年代は江戸時代後半に集中しており、明治期に入って製作された『交野型』はごく少数に限られます。
背が高い割には車幅がスリムなのは、細い村道に対応した形であり、折り屋根式は両側に家の軒先が迫る路地をすり抜けるためでありましょう。
この『交野型』を元に、讃良郡の大工が発展させたのが、大東市や四条畷市に群生する『讃良型』…なのではないでしょうか?

彫物は屋根廻りに集中しているのですが、そのひとつひとつはどれも秀逸です。



そうこうしている内に拝殿での神事が終わり、だんじり本体の清祓い。

これよりだんじりを搬出します。
寝屋では永きにわたりだんじりの曳行が途絶えているそうで、辛うじて保存会が存続しており、祭礼日には飾り付けをして境内に据え置いていたそう。

今回の大修理が完了したのを機に、曳行を復活させる動きがあると伺いました。
とはいえ、小高い山の上にある神社から曳き降ろし、村中を曳き廻し、そしてまた神社まで曳き上げるのは大変な人手と費用と労力を要します。
是非とも地域の理解と協力を得て、曳行復活を実現させて頂きたいと願うばかりです。

さて搬出作業は大屋根を取り外し、外した屋根は軒先を折り曲げて固定するという、なかなかの手間。

背の高いだんじりを安全に搬送するには数々の工程を経ねばなりません。
やがてトラックに載せられ、寝屋神社を後にするだんじり。

製作以来、約200年・・・
長い時空を経て、寝屋のだんじりは生まれ変わるための旅に出ました。
今年の秋、どのように蘇ってこの地に戻ってくるか、楽しみであります。

若き大工棟梁に、期待がかかりますね。

<<前の記事 | 次の記事>> |