茶屋のだんぢり漫遊録

目次

門真の神戸型




5月12日の土曜日・・・

1台のだんじりが平野区の喜連にある《河合工務店》にて修復を完了し、町内へと搬入されました。

こちら。



門真市は三番(堂山町)のだんじり。

姿見をご覧になってお分り頂ける通り、外ゴマ式の『神戸型』のだんじりであります。




まずは『三番』という地名から触れていきましょか。

ネットサーフィンで歴史的なことをザッと調べてみたのですが、詳しい記述には出会えませんでした。
しかしながら、氏神である天神社のある月出町周辺は、かつては門真の中心部、いわゆる『旧市』のような地域で、その昔は門真二番町、三番町・・・という呼び名であったそう。

ちなみに門真一番町は上村と下村に分かれており、氏神は御堂町の八坂神社となります。



その『門真三番町』が、現在の『堂山町』とほぼ重なると看て良いのかも知れません。


氏神・天神社は中央環状線の東側にありますが、堂山町は中央環状線の西側にあたります。

中環という巨大な道路の開通が、門真の旧村を分断してしまっている様です。




さて、それではだんじり本体に目を移しましょう。

このだんじりは大正の初めに神戸は灘区の新在家から購入したもので、三番(堂山町)にとっては初代にあたるだんじりです。



神戸の新在家では、明治32年に大型の『親だんじり』と小振りな『子だんじり』を購入して、これが新在家にとって初代のだんじりとなるのではないかと言われております。

その内の『子だんじり』がこの三番のだんじりなのであります。



さぁさぁ、先程からだんじり本体のお写真をご紹介しながらのお話でございますが、製作年代、大工、彫師などは不詳であります。

明治32年に新在家が購入って事で、幕末から明治期に製作されたものであろうと推察出来ます。



製作時の彫師は黒田正勝ではないかと言われており、また修復の過程で平間勝利の手が加わってはいないかとも言われています。
屋根廻りの彫物などを見て、もしかして《彫清》?・・・とも思えたりもするのですが、いずれも確証は得られていません。



私も勉強不足を否めませんなぁ・・・


小振りなだんじりとは言え、その大工仕事も彫物も本式のもので、各部の彫物ひとつひとつは見応えがあります。



情報が全く出回っていなかったと思われ、だんじり愛好家が誰一人見に来ていない中、河合棟梁と運送業者さんによって黙々と作業は進められ、トラックに載せられただんじり。



ここから中央環状線を北上して、三番の町、すなわち門真市堂山町へと搬入されました。


入魂式等の情報は今現在キャッチしていません。



ここ天神社の祭礼は10月16日・17日の両日で、祭礼日固定です。
今年は火曜日・水曜日という平日開催

土日となれば各地の祭礼が集中して、なかなか足の向きにくい地域であればある程、平日だからこそ足を運べる祭もありましょう。




古くから門真に根付いた神戸型のだんじりを、一度訪問してみてはいかがでしょうか?


信濃屋お半悠遊!だんじり録
<<前の記事 次の記事>>