茶屋のだんぢり漫遊録

目次

それでも岸和田は意地と誇りを見せつける

 



毎回、文章を書き起こすたびに、
『コロナによる影響…云々・・・』
という文字が絶対出て来るのが辛くて、ブログを書く気になれなかった信濃屋です。


ネタらしいネタもないまま、季節だけが無情に移り変わって行きます。

しかしそんな時期にも、各地のだんじりを取り巻く状況は、刻一刻と変化を遂げておりました。



9月に開催される『岸和田だんじり祭』が、祭礼年番を通じて正式に今年の祭礼自粛が発表されたのが、7月の初旬でした。


しかしそれ以前から、
『たぶん今年の岸和田は無理やろう』
という噂は、まことしやかに囁かれていました。


というのも、年番から正式に自粛を発表する以前から、町単位での曳行自粛を掲げる町が数多くあり、そんな状態でいったい何町のだんじりが曳行するのか?

そうなった場合の、年番・若連をはじめとする運営や警備体制はどうなるのか?

曳行コースや曳行時間は通常通りで良いのか?

だんじりを曳く以上、参加者も見物客も『密』を避けられない。
その問題はどうクリアするのか?

考えれば考えるほど、『岸和田だんじり祭』開催が現実からかけ離れてゆくのであります。


そうして7月初旬、岸和田祭礼年番より正式に、今年の『岸和田だんじり祭』自粛が発表されます。


まぁ、『青天の霹靂』とかそんな類のものではなく、誰もが予想していた事・・・そしてこればっかりは仕方がない・・・と、分かっていた事ではあるのですが、やはり正式に『ない』となると、自然と涙がこぼれ落ちる。


皆さん、そんな思いではなかったでしょうか?


しかし、そこはやっぱり岸和田の旧市という土地柄でね・・・

『なんか、町内曳行だけでもやりたい言うてる町がある・・・』


不確定ながら、そんな情報が人づてに流れてきます。


『どこそこの町は《ツヅミ》を巻いていた・・・』

また情報が流れて来ます。


やがて、『せめて神事だけでも・・・』という発想ものと、各町『纏』を携えて各団体の責任者クラスだけで宮入りを行う事となり、9月1日には例年通り、浪切ホールの特別会議室にて『三郷の寄り合い』が執り行われ、厳正なる抽選のもと、宮入り順が決定されました。

このニュースを聞いて、僕は
『さすが岸和田やなぁ!』
と喜ばずには居れませんでしたね。


だんじり曳けんくても、神事としての宮入りを行う事、そしてその順番は例年通りのくじ引きで決める事、それら祭礼における『手順』を大事に思う気持ちは、さすが岸和田やと思いました。


そうして迎えた9月19日(土)
岸和田だんじり祭の宵宮の日であります。



この日、本来の曳き出し時間である午前6時、中北町のだんじりが小屋を出発
一応『町内曳行』という形式で『曳き出し』を行いました。



参加者は祭装束に身を包みながらも、手指のアルコール消毒や検温、そしてマスクやマウスガードで感染対策をし、走ってはいけないという厳しい許可条件のもと、中北町は自慢の遣り廻しも封印しながらも、この時を待ちわびた見物客の待つ疎開道へ。

たとえ一瞬であっても、『その年の祭礼』を歴史に刻み込む・・・そんな思いを滲ませながら、中北町のだんじりは自町内だけを曳行していました。




その中北町が入庫してから2時間後の午前9時・・・

今度は南町が、だんじり修復の入魂式として、小屋から会館までの移動曳行を実施。



中北町と同じく感染対策を施し、また見物客にもマスクを配布するという徹底した対策。

例年、だんじりを停車させる定位置にて神職を招き、入館式を執り行いました。



翌、9月20日(日)・・・

この日は旧市22町の全町が、事前のくじ引きによって決めた順番に従い、朝から『纏』を携えての宮入りです。



その時間帯だけ各町のだんじり小屋が開かれ、だんじりには化粧飾りを施し、鳴物が披露されました。



やはりだんじりの姿が見られて、鳴物が聞こえると、だんじり小屋の前には人が集まります。
それは仕方のない事。

一人一人が自覚を持って、できるだけの距離を保ちながらであれば、感染拡大は防げるでしょう。



ていうか、これは僕が何ヶ月も前から思ってる事なのですが、感染してない人が何百人集まっても、そこには感染など広がろうはずがありませんからね。

なので、一人一人が対策をしながら、可能な範囲で集まることは、『withコロナ』の第一歩ではないかと思うのであります。


さて、この日は宮入りを終えた『纏』が帰ってきたタイミングで、下野町が町内曳行に出発しました。



あらかじめ情報を得ていた人達は、早くから下野町の町内や紀州街道に居並び、その時を今か今かと待ち構えていました。

下野町もやはり感染対策を施し、走らないルールを最大限に守って、それでも今年の祭を歴史に刻み込むべく、だんじりを動かしました。



その光景を見てしまうと、やっぱり僕らは、
『だんじりがないと生きて行けない』
という事を、改めて認識することになります。


お昼前後まで、各町の小屋から出されていただんじり。



曳行こそなくても、鳴物をバックに、ささやかながら食事を並べ、酒を酌み交わし、久々の語らいに終始笑顔の参加者たち。

そんな様子を自転車にまたがり見て回る見物人たち。


この日、結果的に岸和田の町は、それなりに『祭の雰囲気』になっていました。

お天気も良く、加えて今年は涼しくなるのが早くて、だんじりを曳くには絶好の秋晴れで、本当にだんじりを曳かないのは残念で仕方がないけど、今年は今年で、岸和田の人達は『祭』を経験したのです。



曳行自粛を決定した町も、町内曳行だけでもだんじりを動かした町も、それぞれに熟慮を重ねて決断した事であり、それぞれの決定が尊重されるべきと思います。


そして、それらすべてが岸和田の人達にとっての『意地』と『誇り』であり、昔から何よりも祭を大切にしてきた土地柄の成せる業かと思いました。



本当に来年は、感染対策もしっかり行いながらになるとは思うのですが、出来るだけ盛大に祭礼が執り行われますように。


心から願っています。






信濃屋お半悠遊!だんじり録
<<前の記事 次の記事>>