茶屋のだんぢり漫遊録

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桜の季節に密かなだんじり搬入




昨今また感染者が増加傾向にありますが、ここで経済活動を止めてしまうと社会的損失が上回ってしまうので、もうよっぽどの感染爆発が起こらない限り、今年の4月に発出された様な『緊急事態宣言』は発出されないでしょう。


今回のブログはその、『緊急事態宣言』が発出された4月7日(火)の、ほんの2日前のお話。


4月5日(日)、神戸市東灘区の本住吉神社の境内に、1台のだんじりが搬入されました。



まだ大屋根を載せていない状態で、トラックから降ろされようとしているだんじり。

これだけではどこのだんじりか判別しにくいと思いますが・・・

これは『空區』のだんじりです。

岸和田の《大下工務店》にて修復を終え、この日、だんじり小屋のある本住吉神社へと搬入されたのです。
世間では『コロナ』の感染拡大が世界中で脅威とされ、日本でも『緊急事態宣言』の必要性を叫ばれていた頃、『明日にもそれが発令されるんちゃうかー?』みたいな空気感の頃だったと記憶しています。

でも、そんな非常事態だ何だとうるさく感じるのはテレビなんか見てるからそう感じるのであって、こうして外へ出て来てだんじりの姿なんか見てると、世界中で叫ばれている事がまるで嘘のように感じます。


本当は何事も起こってないんじゃないか?・・・てね。




トラックから降ろされただんじり。

『神戸型』のだんじりを搬送する時は、よく低床式のトレーラーが使われてきたものですが、今回は《大下工務店》所有のトラックにて運ばれて来ました。



まだ大屋根が載せられる前、枡合・虹梁の彫物が日光を浴びる形で拝めてしまいます。

担い棒はまだ基礎の2本が取り付けられているのみ。



上地車の原形と呼んでも良い『大阪型』のだんじりの場合、担い棒(大阪では肩背と呼ぶ)は抜き腕の先端に差し込む形であるのが一般的ですが、『神戸型』のだんじりの多くは、担い棒は抜き腕からではないんですね。




さて、これより大屋根を載せて行きます。



この位置で獅噛みを拝む事が出来るのも貴重な機会なのですよ。

準備を整え、やがて空高く吊り上げられた大屋根は、まるで大きな鳥のように青空を飛翔し、そしてだんじり本体の上へと舞い降ります。



だんじりの大屋根を載せる場面は、いつ見ても高揚感を伴います。
だんじり組み立て作業の一大ハイライトですね。



まだ大屋根が空中を浮揚している間に、『主後』の車板を拝見!
秀逸な『猿と鷲』がこんなところに配置されています。



だんじりに組み込まれたら、なかなか拝めない作品。
ましてや祭礼日などに見に行っても、もう幕の内側で拝見することは叶わないでしょう。



やがてだんじり本体の上に羽根を降ろす大屋根。


そしてこの獅噛みなのですが・・・



正面から見るといつもの見慣れた空區の獅噛みなのですが・・・

角度を変えて見ると、違った顔つきに見えるんですよね。



実は今回の修復中、工務店内に据え置かれている写真がLINEを通じて僕の元に送られて来まして、それを見た時に一瞬『え?獅噛み替えた?』…て思ってしまったんですよね。

祭礼時は『山形提灯』によって、なかなかこの角度から獅噛みを拝む事がないんですよ。

この角度から見る獅噛み、なんか好きやなぁ・・・



さて、大屋根が載せられました事で、だんじりの姿見が露わになります。



空區のだんじり、ここに堂々の凱旋といったところでしょうか。


この空區のだんじり、明治22年頃の製作と言われ、大工は淡路島の《大歳》、彫師は《相野》一門に加え、播州の黒田正勝の手が入っていると考察されています。



播州の彫師・黒田正勝は親子三代で同名を名乗っているので、明治20年代の製作とすれば、二代目の正勝?…であろうと推察されます。


ここ住吉地区のだんじりは、隣接する本山、御影の地区と比べても大型のだんじりが多い土地柄ですが、その中でもこの空區のだんじりは一際大きかったようで、かつては背を低くしていた時代がある様です。

僕が初めてこのだんじりを見たのは昭和61年の祭礼なので、その時には背を低くしていた時代でしょう。



それを平成6年の修復にて大工・平間利夫 師にて新調当時の寸法に戻した・・・という経緯があり、その時に枡合の彫物が彫師・井岡勘治 師によって加えられています。



下の虹梁と龍とは明らかに趣きが違っている事に気付かれると思います。


とは言えこの空區のだんじり、やはり《相野》一門の手によると思われる彫物が目を引きます。



特にこの縁葛の『唐子遊び』は秀逸な作品。

そのポージングや滑らかな曲線など、限られたスペースの中で最大限の表現がなされていますね。




その他にもこちらは大屋根正面車板の『素戔嗚尊の大蛇退治』



下の虹梁『神功皇后』とのコラボも面白いです。


先程だんじりに組み込まれる前に見た主後の車板『猿と鷲』も改めて拝んでおきましょう。




この日は4月5日(日)。
ホンマに桜がキレイでさぁ・・・



人の世が、疫病だ何だで、どんなに混乱していても、花は咲く季節を忘れない。
その花の下に人が集まってどんちゃん騒ぎをしてもしなくても、花の命に何の変わりもないのであります。



この地球上で、人間だけが愚かな存在である事を教えてくれているかのよう。


さて組み立てが完成しただんじりは、ひとまず拝殿前へと移動して・・・



記念撮影。

本来なら4月19日(日)に盛大な入魂式とお披露目が行われる予定でしたが、さすがにその予定はこの時点で中止が決定していました。



修復の完成しただんじりを、しばし拝殿前に据え置きます。


『密を避けろ』・・・とか、まだこの時点では今ほど叫ばれてなかったかな?



でもこの日集まった空區の皆さんも、心なしか距離を取ってますよ。


でも、世界中で正体不明の疫病が広がりを見せているなんて、こうした平和な風景を見ている限り、微塵も感じられない。

ここにこれだけの人が集まっていても、誰一人感染者が居なければ、ここでどれだけ人同士が密になろうとも、そこに感染の広がりなど起きようはずもないのだから・・・



修復を終えて搬入された空區のだんじりは、いつもと変わらぬ表情のまま、小屋へと収められました。


華やかなお披露目こそ行われませんでしたが、19日(日)には、関係者のみで神事だけは執り行われたという事です。


でも、それから祭礼も何も行われず、時間はこの時のまま止まっているかの様ですね。

外気は寒さを増し、いよいよ年末が見えてくる季節となりました。




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