天満生まれの地車〜参〜
他地域へ残る天満形式の貴重な地車のご紹介は、次の記事で。
と書いたものの前回のblogでご紹介したのはたった一台のみ。
地車研究家として皆様に申し訳なく思った次第でありまして、ここで私個人的な見解で、資料や口伝も無いけれど天満宮へ宮入りしていた、又は今も他地域にて当時の姿で残る古風な大阪型をご紹介しましょう^_^
•枚方市釈尊寺

製作年、不詳
製作大工、不詳
彫物師、相野伊兵衛
と資料にはここまで。
もう少し詳しく書くと、明治20年頃に青年団が中宮か御殿山の方からこの地車を中古で購入してきた。という事だけ判明しております。
さてこの地車、無茶苦茶そそられる古風な大阪型地車で、恐らく製作は江戸時代末期、前途のblogでご紹介した瀬戸内海に存在する古風な大阪型もこれらと同じく初期の簡素な形態であります。

更にその中宮や御伝山がどこから購入したのかは歴史から消えており、個人的に天満又はその近辺から買ってきたのではないかと考察してます!
実は僕は消えた歴史の点と線を結び、地車の形態や年代から出身地を割り出すのが割と昔から好きなので、よく想像してます笑

彫物は、江戸時代の大坂本町にて軒を連ねた相野、服部、小松、美濃村、中川等の浪花彫刻師で抜群の知名度と腕を誇った相野一門である相野伊兵衛の作。
ちなみに今の大坂本町あたりを何度も訪れましたが、雑居ビルやマンションが立ち並ぶビジネス街。
何の面影もありませぬ(-_-)

嗚呼、この地車が天神囃子を打ち鳴らし、大坂の商人や町民達の手によって天満宮へ宮入りしてたと想像すると何ともロマンがあるじゃないですか、、
余談ではありますが、大阪でご年配の某地車研究家の方にお聞きした話しだと、その方のお婆さんが天満の生まれで、なんと天満宮の山門から大川まで僅か数百メートルの間の道沿いに、地車小屋が三台くらいあったそう。
先の大東亜戦争による憎き米軍の大阪大空襲によって街ごと全て灰と化したそうです。
奇跡的に天満宮だけは燃え残り、今も建造された天保時代のままであり、もちろんこの素晴らしい彫刻も相野一門の作!
アカン、また話がどんどんずれていきます。

戦前まで市内各地に残っていた地車は、例えば城東区鴫野中之町の様に正確に空襲で燃えたと判明している地車もあれば、恐らく天満近辺の講や有志、又は大店が所有していた様な地車の多くがその存在ごと消えた地車も数多くあると思っています。
あ!余談ばかり書いてるうちに、また今回も一台しかご紹介出来ませんでした笑

え?他の地車はどこって??
今回これで締めます!
気になった方は僕を見つけて声かけて下さい(*'ω'*)
今日はここまで!
ありがとうございました!

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