地車愛
僕は古い地車が好きだ。

今、世間一般では地車は全て薬品による洗いがかけられ、色も白く美しく見える。
大袈裟だが、僕はそんな地車にあまりそそられない。
地車とは本来ケヤキの艶が美しく、黒い色をしているとの認識である。
人それぞれ捉え方や認識は違う上で、僕にとって古い地車こそ魅力の全て。

そもそも何故古い地車が良いのか理由は沢山あるが、一番の理由として製作された江戸時代や明治時代のままの匠の技が伝わるから。
今は地車といえば専門の地車大工と呼ばれる職人さん、地車彫刻師さんと呼ばれる職人さんが手掛けるのが定説であるが、それはこの百年くらいで整った環境である。
それ以前は、地域に居られる大工さんや、社寺専門であった彫物師さんが手掛けられた。
そして当時の職人さんは本当に粋である。

例えば村の大金持ちが、こう言う。
「カネに糸目は付けん、お前の満足いくものを作れ」と
TVで見たシーンの様な言葉が当時あったかも知れない。
予算と年数に縛られる事なく、当時の職人さんは持てる技術の粋を凝らし、一世一代の仕事をした事だろう。

決して今の地車を貶しているわけではない。
今の地車にも素晴らしい技術が注ぎ込まれ、職人さんの心意気が随所に感じられる。
だが、百年以上前の特に豪華な地車において、それは顕著なのだ。

ちなみに自分が特に拘る古い地車とは、「部材交換修理が施されていない製作当時のままの古き良き地車」である。
現在の地車改修は、主に傷んだ部材や躯体をそのまま交換するのが主流であり、また時代に応じて彫刻さえも交換する事がザラである。
しかし、先述の通り百年以上前に製作された当時のままの地車は、正にその当時のまま。
なんと粋な仕事が随所に見られる。

地車とは、その祭りの賑やかさ故に傷むもの。
然るべくして部材交換修理は致し方ない。
また、そのお陰で現在まで仕事が絶える事なく職人さんの、技術継承が出来ているのも事実であり、そこに関して感謝でしかない。
とはいえ、僕にとって古き良き地車とは、本来在るべき姿を今に伝えてくれる宝物であり、魅力たっぷりの正に動く芸術品。

うわ、この地車真っ黒で汚いな!
と避けるのではなく、是非一度そんな地車こそゆっくり見てほしい。
今の地車には見られない江戸時代や明治時代の職人さんの魂が、貴方にも伝わるであろう。

最後に一言
古き良き地車を改修する際は、その地車に応じた尊重した修復が行われ、村のご先祖が未来の我々へ対してどんな気持ちでこんな素晴らしい地車を遺してくれたのか、今一度ゆっくり考えて頂けたらなと思います。
貴方にとって地車とは何ですか?
僕にとって地車とは、人生です。
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