茶屋のだんぢり漫遊録

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年の瀬に思うこと

本年疫病に対する世間の認識がひと段落し、ようやく三年振りに各地で盛大な祭りが行われた。

我々祭礼参加者が待ちに待った祭礼で、汗と涙に包まれた最高の年であった事は言うまでもない。



とはいえ、全ての祭礼が賑やかしく復活出来たわけではない。

この10年で驚くほど地車祭礼文化が廃れ始め、さらに疫病騒ぎで拍車がかかりついに旧村の地車祭も廃絶する所が出始めた。



これらの理由として
もちろん元から世帯数の少ない村は不利であるのは承知の上

時代に合わせて祭りを変え村中を通れぬ地車に型を変え、さらに祭礼中も村から地車は消え連合コース主体で村に太鼓の音もしなくなった。

激しい祭りに対応すべく祭礼組織が年々と厳しくなり、一部の他所からの参加者と村人とに温度差が生じ、更に運営母体となる村としての祭り離れが加速した事は祭礼衰退の大きな原因の一つだと思う。



では、どうすればいいのか?
どうすれば昔の様にもっと村人が楽しめ、更に運営母体となる村に協賛して貰える様な祭りが出来るのか?



先ずは連合コース主体より村で地車を曳く時間をもっと増やすこと。
祭礼組織だけの祭礼参加に拘らず、組織や見た目よりもっと村の老若男女が共に楽しめる祭りを行うこと。
他所から参加しに来てくれる方へは村として感謝でしかないが、郷に入れば郷に従うを徹底し村としての祭礼の在り方を尊重すること。



更に新興住宅の方、又そのお子さん方も取り組んで一緒に楽しんで祭りが出来る様に工夫すること。

祭りから離れた村人にもう一度理解して貰い、例えば大人しい方とも一緒に皆んなで楽しんで貰える居場所をきちんと構築すること。



この祭りには、ぶっちゃけ村人が参加していないと、そして村人を大切にしないと意味が無い。

他所から来てくれてはる方は地元でもない村に死ぬまで恩義を尽くしてくれるのか?
村人以外の方は最後まで地元として村や先人の想い、又は氏神を護ってくれるのか?

この祭りは、村の名を借りたスポーツになってはいけない。



この祭りを確実に後世へ遺す為に
今こそ本来の祭りを見直すべき



祭りとは、大前提として氏神を敬い、村ありき村人ありき、他所からの方も新興住宅の方も郷に入れば郷に従えを遵守し、老若男女皆んなで協力し和気藹々と心から楽しむものだと思います。

最後まで読んで頂き、感謝

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