茶屋のだんぢり漫遊録

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高石スカイハイツ地車昇魂式

令和六年七月二十八日
人知れず、高石市高石スカイハイツ地車の昇魂式が執り行われました。



平成三十年の曳行を最後に休止され、この度ついに廃絶となりました。

高石スカイハイツ地車は、昭和六十二年に池内工務店にて新調



彫物は同工務店にて改修され取り外された彫物を再利用



よく見るとあんな所やこんな所に、往古堺や泉州で活躍された名地車の古材が再利用されております。



この地車は、当時日本で初めてマンションの自治会にて地車を新調され、新聞やメディアにも取り上げられ話題となりました。
(地車発注主は長谷工コーポレーション)



戦後復興期を乗り越えた昭和の終わり、当時の高石市内は大阪市のベッドタウンとして田畑が開発され多くの新興住宅地が誕生。

旧村の地車復興に比例してどんどん新興地も子供地車や花車を製作して所有され、正にスカイハイツもその過渡期に誕生した立派な上地車風の子供地車。

昭和50年代後半より高石市役所パレードが祭礼日に開催され、それに応じるかの様にどんどん子供地車や花車が増えました。
全盛期の平成初期には約50台もの地車が市内の鴨公園に並び、大変な賑やかだったのを子供ながらに覚えています。



一世を風靡した高石市内の子供地車や花車も、残すところあと数台。
ついにその代表格であるスカイハイツ地車が高石を離れました。

個人的な意見ですが、僕は子供の頃、高石に沢山あった花車や子供地車に凄いレッテルを抱いておりました。

理由は、他所の人に小馬鹿にされたから。



「高石は子供地車や花車ばっかでショボい」
「オモチャ曳いて楽しいんか」



他所の方々からこうした心無い言葉が浴びせられ、子供ながらに村意識が強かった自分は、「うちの村は本物の岸和田型地車持ってるんじゃ!」と悔しい思いを胸に、新興の子供地車に嫌悪感を抱いていました。

でも今は、ただただ愛おしい、、

こうした子供地車や花車のお陰で、今の高石地車祭が盛り上がり賑やかになってくれたのは紛れもない事実。

高石地車祭を盛り上げてくれた多くの子供地車や花車達に幸あれ!



さて、このスカイハイツ地車は羽曳野の個人へ譲渡され、現在某所にてひっそりと保管されています。

また新天地で活躍される事を心より願います!!

残念ながら衰退を続ける地車文化



でも、もっと盛り上げたい!
微力ながら僕らに出来る事はまだまだあるはずです!!

地車文化万歳!

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