茶屋のだんぢり漫遊録

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岸和田市最山手の地車

皆様あけましておめでとうございます。

本年もどうぞ宜しくお願いします。

というわけで、久々のblogは、この地車について掘り下げてみました!



年末のある日曜日、とある行事に出されたこの地車

岸和田市大澤町地車



貝塚市堤より平成26年に大澤が購入した地車であります。

正確な制作年は不詳(昭和12年と推測)
昭和14年に堤が絹屋より購入したいわゆる「仕入れ地車」であります。
製作大工は、当時岸和田市本町に居を構えた名工、絹屋こと絹井楠次郎師
彫物は石田範治師、利郎師兄弟、松田正幸師、佐生武之輔師らによるもの。

当時、絹屋において作り置きされていた「仕入れ地車」4台のうちの1台であると伝わります。

残りの3台は、、また別の機会で笑



昭和初期に来岸し、木下舜次郎師に付き従い腕を磨いた石田兄弟が請け負った彫物で、この写真の通り和泉市市辺町先代地車とよく似ております。
私個人的にはこの市辺町地車の方が細かい仕上げが成されていると思います。



正に舜次郎、正幸コンビが彩を添え、石田兄弟に華を持たせた地車であります。

この年代の地車の多くは和泉彫から淡路彫へと主流が移り行く端境期の地車であり、こんなところに玉井さんや田沼さん、あれ?野村さん?いやいや、川島さん?みたいな彫物が沢山あり、ずっと見ていても飽きない地車です。



木鼻はもちろん佐生さんの作
当時の地車工匠達の合言葉に、「木鼻と組物は佐生に任せとけ」という言葉があったそうですね。

昭和55年に岸和田の名工、久吾において大修理。
恐らく年代的に久吾の手の入った最終期の地車で、小屋根周りや独特なゲンギョの木取り、松良辺りにその跡が見受けられます。

ちなみにこの年代から後に多くの地車の松良が地車大型化により交換されますが、年代的にその先駆けの地車です。
その独特の松良、実は播州の彫物師さんの作品です。

さて、大澤町の先代地車は昭和57年に吉為工務店、吉野為雄師、彫物責任者筒井和男師によって製作されました。
現地車購入に伴い平成25年10月27日に昇魂式

売却先が決定していなかった為に町内で保管されていたが平成26年12月に堺の浦美術館へ売却
いっときテレビにも取り上げられ話題になりましたが、現在の中古岸和田型地車は飽和状態となっており、売り先のないまま店先で展示されておられます。



かつては上大澤と下大澤に別れそれぞれ地車を所有していたが、昭和48年と49年にそれぞれの地車が売却され一旦廃絶

上大澤は、昭和初期に同市内畑町下出が某所より購入してきた地車を昭和38年に購入

その後昭和48年10月21日に古物商に売却されたと云われているが、詳細は不明となっております。
が、実は当時池尻町内の古物商に古地車一台分の廃材が山積みにされており、とある方からの聞き取り調査により、恐らく年代と時期的ににもこの地車と一致しているのですが、この地車という確証はないので今となっては推測にすぎません。

上大澤の先代は、明治13年に岸和田市小寺(現在の上町の一字)にて新調
製作大工は大駒こと大崎吉造師
彫物師は宮地弥津計師とその一門
明治32年頃、熊取町五門区へ売却され大正10年に泉大津市板原町へ売却。
昭和6年頃に和泉府中の材木商が購入し、同9年9月20日に上大澤が購入されました。

そして昭和38年同市春木本町へ売却され、さらに平成6年堺市菱木白木が購入し、現在も曳行されている地車であります。



下大澤は、明治20年代に同市内畑町山口にて新調
製作大工は絹屋こと絹井嘉七
彫物は玉井行陽とその一門
山口より同市岡山町山出小路が購入したものを昭和11年に下大澤が購入。
この地車を昭和49年に同市春木中町へ売却、平成元年には南河内郡太子町の個人(焼肉屋さん)の手に渡り平成11年に高石市高陽が購入。

平成26年10月和歌山県橋本市南馬場が購入し、現在も曳行されている地車であります。



とまあ、ありとあらゆる点と線で地車系譜は繋がっており、まさか現在も曳行されている地車達がまさかこの大澤出身の地車だったとか、今保有されている町の若い方は知る由もありません。

我々地車研究家は、こういった事にロマンを感じてしまうのであります。笑


私は20年以上ありとあらゆる地車を調べ倒し、先輩地車研究家から伝授して貰った資料や自分の見識と地車研究結果を加えて書いておりますが、少しでも多くの地車ファンの方にこの研究結果を見て頂けると幸いです

親愛なる皆様へ感謝

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