三代目 中川のだんじり 其の1・・・・
まぁ~いど、だん馬鹿でおます。
高校野球も雨

昨日は昨日で早朝の東海地方の地震。自然の猛威に恐怖さえ覚えるのは私だけなのでしょうか・・・・?
被害に遭われた方には心よりお見舞い申し上げます。
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手探りの状態で始めたこのサイトも、まだまだ至らぬ所ばかり。目指すは、近畿一円900台の地車を完全制覇とボリュームアップ!
これからも「日々努力!」、頑張って参る所存ですので、末永くお付き合い頂きますよう、心からお願い申し上げます。
今回の『だんじり通信』は、先日7月5日(日)に三代目地車完成入魂式がおこなわれた、大阪市生野区中川の地車について書いてみましょう。(中川のS君、おまっとうさんでした・・・・!)

昨年の秋のこと、とあるところから生野区中川の地車が修理に出されるらしいとの情報を耳にしました。見送りの三枚板などの彫物も新たに彫り替え、大改修されるらしいとのことでした。
中川の地車は昭和26年11月に同区猪飼野の大工、《大重》伊川重松の手により新調されたもので、彫物は松田正幸・木下舜次郎・金光 要など当時の地車彫刻界を代表する顔ぶれが細工。
先代(初代)地車が、昭和20年6月15日の空襲による戦火により焼失。地域住民が一丸となり6年の歳月を掛けて新調復活させたもの。
しかしながら、この地車も老朽化し、平成10年には岸和田市の《大下工務店》により大改修され、この時に懸魚や車板、枡合・土呂幕などの彫物も新調。新調された彫物は、木下舜次郎 師の実子、《木下彫刻工芸》木下賢治 師によるもの。
同年7月19日には、入魂式が盛大におこなわれました。
この時に現在の大屋根正面の懸魚「翠岩十一ヶの橋」が新たに彫られました。

この「翠岩」は、地元中川の名士 松江太郎衛門という江戸時代の人。後に剃髪して仏門に入り『釋翠岩』と号し、近郷に11ヶ所に橋を架けるなど、慈善心に富み地域の福祉活動に資財を投じた人物。
この「翠岩」の残した遺産の一部が寺院や村に委託され、中川の初代地車新調時にも一部あてられたことから、故人の業績をたたえ後世に伝えるべく、彫物の題材とされました。
新調当時の面影はこの時の大改修で失われてしまいまいたが、それから10年の歳月を経ておこなわれたのが今回の大改修。
新調時からの見送り三枚板や隅障子なども新調。前回と今回の改修により、新調当時からの彫物はすべて入れ替えられたことになります。
したがって前回の大改修から11年の歳月を経て完成したのが『中川 三代目地車』となるわけです。
入魂式を前に、完成した地車は6月28日(日)に町内へ搬入。超豪華な三代目地車は地車小屋に納められました。
ちなみに、新調時の彫物は、全て中川の会館内のガラスケースに納められ展示保存されています。

さて、完成した「三代目」中川のだんじり。今回の大改修も前回同様、《大下工務店》大下孝治 匠の元でおこなわれました。新調彫物も同様に《木下彫刻工芸》が担当されました。
今回の改修の「メイン」は、なんと言っても、脇障子・隅障子を含めた見送り廻りの全面改修。木下賢治 師の実子、木下健司 師が中心となり細工したのだとか・・・・。祖父 舜次郎 師から三代に渡って、中川の地車を細工しているのも浪漫あふれる話しですよねぇ~!
この他に、間仕切り虹梁、大屋根枡合と虹梁の裏面、土呂幕四角の「半松良」、大屋根後の「懸魚」を新調。また、土呂幕は前回入れ替えらていましたが、「前板」・「中板」・「奥板」の三枚構成だったものに2枚足し、更に奥行きを持たせるなどの細工も施されました。
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伝統いきづく中川のだんじり。次回の『だん通』も、中川の地車彫刻へと続くのであります・・・・。
乞御期待!!
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