茶屋のだんぢり漫遊録

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大正西のみなさん、おまちどおさまでした!

まぁ~いど、だん馬鹿です。

残暑厳しい頃、ユーザーの皆さんはいかがお過ごしでしょうか? 朝晩は、少々涼しく感じられるようになってきましたねぇ~。秋も、もうそこまでやって来ているんでしょうね・・・・。
今週末、29日(土)は、泉州で一番早いだんじり祭、貝塚市二色の夏まつりがおこなわれます。
これからが、本格的な祭シーズン。私、だん馬鹿さんは少々夏バテ気味。巷では新型インフルエンザが猛威を振るっているようですが、目前に迫った「祭シーズン」に向け、予防に心がけましょう!(私が一番先に倒れてしまいそうですが・・・・笑)

さて、今日の『だんじり通信』は、去る7月5日(日)に入魂式をおこなった柏原市大正西の地車について書いてみましょう。

大正1

今年4月、このサイトのPC版とも言える、『だんじり eo special edition 』のサービス開始直前の4月5日(日)、電光石火の様な地車譲渡の話しが飛び込んできました。それも、「今日、町内に搬入!」ということで、驚かされたのを思い出します。

柏原市大正西は、これまで子供地車を曳行していましたが、同市大県より地車を譲り受け、新たな歴史を刻み始めました。

購入した地車は『板勾欄出人形式住吉型』と呼ばれるもの。私の住む堺市内では、「彫りもんだんじり」・「住吉だんじり」と呼ばれていた地車。(堺市内でも、数少なくなりましたが・・・・)

製作されたのは、江戸末期から明治初期。銘板などは付いていませんが、製作大工は、《住吉大源》・《住吉大佐》・堺金田村(現:堺市金岡町)の河村新吾のいずれかであろうと推測できます。
彫物は、そのノミ跡から堺の《彫又》一門の手によるものと考えられます。

大正3

製作から100年以上を経ているため、これまでに幾度となく修理がおこなわれているようで、背丈を低くするためか、大屋根の枡組や枡合の彫物は取り外されています。また、大屋根下の勾欄部や見送りの出人形も欠損。幟差し・旗台も取り外されていますが、なかなか味わい深い地車であることに変わりはありません。

入魂式当日は地車を保管している大正東の地車小屋前に神主さんを招き、神事の後、午後からは町内を御披露目曳行。子供らを中心とした曳行がおこなわれました。

大正2

入魂式のムービーを見る

入魂式の写真を見る

また、7月18・19日(土・日)の祭礼本番では、地車をコマの様に回転させるなど、初めての本格的地車の曳行とは思えない程。

大正5

くれぐれも事故などの無いよう、細心の注意を払い、末永く曳行されますように・・・・!


さてさて、祭礼当日、たまたま大正西の町内を車で走っていたところ、先代にあたる子供地車を発見。

大正4

およそ20年前、この地車を寄贈したお宅で今後保管されるらしく、飾り付けられて置かれていました。
これからの大正西の地車曳行も、この子供地車があったればこそ・・・・。これも歴史の1ページ、感慨深いものがありました。

【大正西地車 主な彫物図柄】
《大屋根鬼板 前後》
 獅噛み
《大屋根懸魚 前》
 鳳凰
《車板 前後》
 雲
《大屋根虹梁 正面》
 唐獅子
《大屋根虹梁 右左)》
 鷲
《間仕切り》
 唐獅子
《柱巻 右》
 龍
《柱巻 左》
 虎
《板勾欄出人形 三方》
 武者物(図柄・人物特定できず)
《小屋根鬼板》
 獅噛み
《小屋根懸魚》
 鳳凰
《小屋根車板》
 雲
《小屋根枡合 三方》
 唐獅子
《見送り 後正面》
漢の高祖、龍退治(龍は欠損)
《見送り 右》
 班?、門破り
《見送り 左》
 人物特定できず(雷震か・・・・?)
《土呂幕 正面》
 波
《土呂幕 右》
 武者物(図柄・人物特定できず)
《土呂幕 左》
 武者物(図柄・人物特定できず)
《土呂幕 後正面》
 武者物(図柄・人物特定できず)
《下勾欄 右左》
 波に兎

 ※左右は、地車正面から見たもの
信濃屋お半だんじり通信
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