茶屋のだんぢり漫遊録

目次

八田西町と北出屋敷の御披露目曳行・・・・

地車総合ケータイサイト『だんじり』ユーザーの皆さん、いかがお過ごしでしょうか? 泉州堺のだんじり馬鹿、略して「だん馬鹿」でおます。

いよいよ今週末は『岸和田だんじり祭』。見に行く計画を立てている方も多いのでは。
仕事や用事で見に行けない方は、本サイトのライブ中継で現場の雰囲気を体感して下さいねぇ~。

今年の『岸和田だんじり祭 九月祭礼』本宮の20日(日)は、くしくも堺市内の試験曳きと重なってしまっているので、私のような堺の住人にとっては「よりによって・・・・」ってな感じ。
自町の試験曳きには出なくてはならないのですが、岸和田も気になってお尻がムズムズ状態になるんでしょうねぇ~?

さて、今日の「だんじり通信」は岸和田ネタで書いてみようかなと思ったのですが、入魂式の詳細なども書かねばと思いながらほったらかしにしているのもあって、7月におこなわれた2つの入魂式について書いてみることにします。

まずは、7月19日(日)におこなわれた堺市八田荘地区 八田西町の購入地車の入魂式から・・・・。
寒風吹きすさむ今年2月8日(日)、堺市内にまた一台、岸和田型の地車がお目見えしました。それが和泉市黒鳥地区 郷小路から購入された八田西町の地車。

八田西1

町内搬入の模様は2月10日の「だんじり通信」でもお伝えしました。

2月10日の「だん通」を見る

それから5ヶ月余りの月日を経て7月19日(日)に入魂式・御披露目曳行が目出度くおこなわれました。
当日は多くの見物人が詰めかける中、府営八田西町住宅集会所の前で安全曳行を祈願し神事がおこなわれた後、町内を御披露目曳行。近隣の小阪荘園へも表敬訪問。

八田西2

豪快とはいかないまでも「やりまわし」も披露してくれました。元の保有町の郷小路からも多くの青年団員が応援に駆けつけていましたが、問題は曳き手の数。
府営住宅の自治会により曳行されるのですが、少子化もあり、曳き手の少なさは、将来の八田荘地区年番復帰にも支障を来すかも・・・・?
我こそはと思う青年諸君、曳き手の一員として参加されてはいかがでしょうか・・・・。

八田西町のフォトギャラリーを見る

さて、お次は7月26日(日)におこなわれた、兵庫県尼崎市貴布禰神社 北出屋敷の御披露目曳行。

北出屋敷1

この地車は、江戸末期の製作と推測される大阪型地車。製作大工は不明ですが、彫物は《相野》一門の手によるもの。これまでにも修理はおこなわれていたようですが、新調から100年以上の歳月と尼崎名物とも言える勇壮な「山合わせ」のためか、老朽化と破損箇所も多く、大規模な修理がおこなわれました。
修理にあたったのは、飛鳥の世から日本の寺社建築を担ってきた、1400年の歴史を誇る、宮大工の中の宮大工、金剛組。寺社建築の枠を越え、数年前から地車や山車、神輿の新調・修理にも進出。
今回の修理では、台木・柱・担い棒などを新調。数多くの部材も交換されるなど大がかりなものでした。
痛んでいた彫物の欠損部分も見事に修復され、別の地車かと見違えるばかり。
当日は、午後2時前から貴布禰神社境内の地車小屋から曳き出され、同神社の氏地内を御披露目曳行。

北出屋敷2

途中から、中在家・西町の地車もお祝いに駆けつけ、3台揃って貴布禰神社へ。神社境内では境内に地車小屋のある西櫻木・御園町の地車も境内に留め置かれ、さながら5台の「宮入り」ってな感じ。
夕刻までじっくりと5台の地車を見ることができました。

北出屋敷のフォトギャラリーを見る

8月1・2日の祭礼では、真新しくなった地車を無事曳行。豪快な「山合わせ」は壮観でした。


追記:この一ヶ月の間に『各町の地車』の姿写真の追加・差し替えをおこなっています。
その数、約100枚以上。量が多いので町名の列記はできませんが、一度見てやって下さい!

信濃屋お半だんじり通信
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