茶屋のだんぢり漫遊録

目次

86年間ありがとう・・・・、御厨のだんじり

毎度、だん馬鹿でふ。

早いもので12月も半分が過ぎ、今年も残すところあと二週間。
街のあちらこちらではクリスマスのイルミネーションがよく目に付きます。
不況の風が吹きすさんだ一年でしたが、クリスマスともなれば不況の風もどこえやら。電気台もバカにはならないと思うのですが・・・・。

ニュースでは、この冬一番の寒気が日本付近に流れ込み、雪の便りも・・・・。
今朝の通勤途中、遠くの山々もうっすらと雪化粧。この週末にかけても寒い日が続くらしいので、くれぐれも体調管理にはご注意ください。

さて、12月12日の土曜日、東大阪市御厨の地車の昇魂式がおこなわれました。

御厨1

来年の地車新調に先立っておこなわれたもので、御厨での最後の姿を見ようと、地車ファンの諸氏も多数詰めかけていました。


この地車は御厨にとって四代目の地車にあたり、大正12・13年頃に同市古水走から500円で購入したものと口伝されています。

明治37年に製作されたと言われており、型式は《大阪型》。製作大工は不明。彫物は辻田友次郎の作と言われていますが、見送り三枚板の彫物は、西岡弥三郎の手のようにも思え、浅学の私には少々首をひねらざるを得ない地車なのですが・・・・。

製作から105年の歳月を経て、これまでに数度の修理がおこなわれており、戦前には地元の大工の手により修理。
昭和22・23年頃には岸和田市宮本町にあった工務店で修理され、この時に前後の土呂幕を組み込んだそうです。
その後も、昭和52年に名古屋の日置商店にて大修理がおこなわれ、脇障子と隅障子が付け足され、この時に台木にも彫物が入れられました。

御厨2

昇魂式当日は、御厨天神社境内拝殿前に祭りさながらに飾り付けられた地車が据え置かれ、町内関係団体・祭礼関係団体の皆さんがご列席され、10時より昇魂式の神事がおこなわれました。

御厨3

祝詞奏上、玉串奉てんの後、地車に取り付けられていた御幣も神社に納められ、一連の神事も無事終了。
その後、役員の挨拶、だんじり囃子も奉納され、最後は「大坂締め」で・・・・。

御厨8

御厨での86年間、秋祭りで曳行してきた地車への感謝と共に、御厨町民にとって思い出の詰まった地車、慣れ親しんだ地車とのお別れは感慨深ものがあった事でしょう・・・・。

当日は、お別れ曳行はおこなわれませんでしたが、11月1日(日)に大阪商業大学の文化祭『御厨祭』での曳行が実質的な曳き納めとなりました。

御厨7

来る平成22年には、大阪市平野区喜連の《河合工務店》河合伸一 棟梁の手により、御厨にとって五代目となる地車が新調されます。
彫物や飾金物などは大阪市平野区加美北の《御堂製作所》にて製作。
創意工夫の凝らした素晴らしい地車が製作される事でしょう。

四代目地車が今後どうなるのかは小生の知るところではありませんが、いずれどこかの町に売却され、その土地で新たな歴史を刻むことになるでしょう
・・・・。

◆四代目 御厨地車 主な彫物図柄
[大屋根鬼板(前後とも)]
獅噛み

御厨4

[大屋根懸魚]
鳳凰
[大屋根隣懸魚(左右とも)]

[大屋根車板]
龍(枡合と一対)
[大屋根枡合(左右とも)]
牡丹に唐獅子
[小屋根鬼板]
獅噛み
[小屋根懸魚]
鷲に猿
[小屋根隣懸魚(左右とも)]

[小屋根車板]
牡丹に唐獅子(枡合と一対)
[小屋根枡合(左右とも)]
麒麟
[柱巻き(左右とも)]
登り龍
[花台(左右とも)]
牡丹に唐獅子
[勾欄合]
二十四孝
[脇障子(左右とも)]
武者物(図柄・人物など特定できず)
[隅障子(左右とも)]
武者物(図柄・人物など特定できず)
[見送り(後正面)]
賎ヶ岳合戦 秀吉本陣、佐久間の乱入

御厨5

[見送り(右)]
加藤清正勇戦

御厨6

[見送り(左)]
武者物(図柄・人物など特定できず)
[縁葛(四方とも)]
波に鯉
[土呂幕(正面)]
波に鯉
[土呂幕(左右とも)]
波に兎
[土呂幕(後正面)]

信濃屋お半だんじり通信
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