真夏の出来事、柏原市国分東町入魂式・・・・
まいどぉ~、だん馬鹿でふぅ~

昨日は天皇誕生日。祝日でおました。
今年最後の祝日、地車ファンの皆さん、いかがお過ごしでしたでしょうか。
今日は、いよいよクリスマスイブ。家族揃ってのクリスマスパーティー、どこかのお姉ちゃんと熱い一夜を計画中の不埒(ふらち)な輩まで、聖なる夜の過ごし方も人それぞれ。私的には、不埒な一人になりたいのですが・・・・。
さて今日の『だんじり通信』は、この寒風吹きすさむ冬にもかかわらず、今年8月2日(日)におこなわれた柏原市国分東町の地車大改修完成に伴う入魂式・お披露目曳行の模様を書いてみようと思います。
小生、国分東町のろくちゃんとは怪しい間柄でありまして、もっと早い時期に書こうとは思っていたものの、取材に撮影、あれやこれやでこの年の瀬のくっそ寒い時期になってしまいました。ろくちゃんはじめ東町の皆さん、ごめんなさいねぇ~。

国分東町の地車は、平成元年に南河内郡河南町白木より購入した石川型地車。地車の縁が前方へ大きく張り出し、その縁を舞台代わりに「にわか芝居」が演じられることから、南河内地域では『俄だんじり』と呼び交わされているタイプのものです。
製作年・製作大工・彫物師などの詳細は判明していませんが、おそらく江戸末期から明治初期に富田林新堂村の大工集団《新堂組》の大工の手により製作されたものと考えられます。
製作から100年以上の歳月を経て老朽化も顕著に見られることから、今回大改修されました。今回の修理は、岸和田市の地車製作《隆匠》田中隆治 棟梁の手によりおこなわれました。
屋根はそのままに、彫物も含め、枡組から下の部分を新調。したがって新調地車と言えるぐらいの「超大改修」。新調地車と見間違う程でした。
当日は、早朝に町内へ搬入され、入魂式・記念式典がおこなわれました。
午後からは、製作にあたった田中棟梁を地車に乗せてお披露目曳行の開始。

東町の老若男女、周辺住民、地車ファンの多くが見守る中、青年団に委ねられた地車は、古い町並みの残る国分の村落を抜け、大和川の堤防を通り、氏神さまの国分神社前へ。

神社前では隣村の国分市場の地車とも顔合わせ。
〉〉入魂式の写真を見る
真夏の炎天下、村落の北側を流れる大和川を渡る風が頬をかすめ、暑さも忘れ、私も夕刻まで地車の後を付いて行きました。


真新しくなった国分東町の地車。末永く、安全曳行されますことを願いながら国分の地を後にしました。
なお、東町ではこの地車が四代目とも言われていますが、これも詳細は不明。
先代は昭和51年の曳行を最後に風呂の焚きつけとして売却されたのだとか。
その前にも幕式の地車、彫もんだんじり(板勾欄出人形式住吉型か?)も所有していたとも言われていますが如何に・・・・?
◆国分東町 主な彫物図柄
[大屋根鬼板(正面)]
獅噛み
[大屋根鬼板(後)]
「東」の町名に柿を食べる猿

[大屋根懸魚(正面)]
鳳凰
[大屋根懸魚(後)]
飛龍
[大屋根車板(正面)]
龍
[大屋根車板(後)]
雲
[大屋根枡合(全面とも)]
龍
[大屋根虹梁(上段全面とも)]
牡丹に唐獅子
[小屋根鬼板]
獅噛み
[小屋根懸魚]
鷲に猿
[小屋根車板]
琴高仙人
[小屋根枡合(三方とも)]
龍
[小屋根虹梁(上段三方とも)]
牡丹に唐獅子
[勾欄合]
二十四孝
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