間違いは正しなはれ・・・・其の一
毎度、だん馬鹿です。
一昨日は成人の日。全国で127万人の人が新成人におなりになったのだとか。それも、平成生まれなんやてぇ~。
バブル絶頂期に生まれ、バブルが弾け、長引く経済不況と殺伐とした時代に育ってきた新成人諸君、これからの日本を立て直すのは君たちだぁ~!
ワイドショーでは、成人式の会場での御乱行の映像が映し出されていましたが、そんなんやってる場合とちゃうでぇ~!
そんなんは、私らオッさん世代にまかせときなはれ・・・・。
まぁ~、しっかり年金払ろぉ~て、しっかり受け取れる時代にせなあかんちゅうことやね・・・・(なんのこっちゃ?)。
アホな話しはさておいて、『えべっさん』で地車が見れることは前々回の『だん通』でも紹介しました。
昨日から、そのレポートを書くつもりでいたのですが、私は今、少々困惑状態に陥っているので収拾が付くかどうか・・・・。
私が『えべっさん』に行ったのは、残り福の1月11日の夜。
例年通り、大阪市福島区野田恵美須神社「宝之市大祭」と同市東成区八阪神社境内に鎮座する玉造恵美須神社の「玉造戎祭」では境内の地車小屋を開け、地車囃子の奉納がおこなわれていました。
野田恵美須では、地車囃子の奉納は残念ながら中止になっていましたが、小屋を開け、地車を飾り付けて、御神酒が振る舞われていました。

境内には、夏祭りで引き出される『鯛鉾』も展示され、大阪中央市場にほど近い土地柄もあり、福を授かろうと大勢の参拝者で賑わっていました。

方や東成区中道の八阪神社でも、中道の地車が境内東側の鳥居の脇に留め置かれ、地車囃子が披露されていました。

下町の『えべっさん』という感じで参拝者もまばらでしたが、地車囃子が始まるや地車のまわりには、夏祭りを待ちわびる子供のように目を輝かせた参拝者が、鉦や太鼓の音色に聞き入っているのが印象に残りました。

さて、私を困惑の渦へといざなってくれたのが、この中道の地車・・・・。
行く道すがら、「中道の地車は大正らへんに造られて、大工は名古屋で、彫物師は辻友(辻田友次郎)やったかなぁ~」と思いながら、鳥居をくぐり境内へ・・・・。
ゆっくりとこの地車を見るのも、7・8年ぶり・・・・。

土呂幕などは大修理の際に入れられてはいるものの、獅子噛や懸魚・見送り三枚板などは修理前と変わっていない。
ごっつい獅噛みが印象的な地車なのであるが、、どぉ~見ても、私の知ってる「辻田」っぽい彫物ではないのである・・・・。

まぁ~、「《辻田》一門も、辻田友次郎だけではなく、多くの彫物師さんがいてたやろし、《辻田》一門の誰かの作かなぁ~」くらいの気持で帰って来たもの、なんだか気になって仕方がない。
昨日の朝になって、「名古屋の大工が、大阪の彫物師を使うのだろうか?」とさえ思えてきたのである。
昨日の『だんじり eo Special Edision』の原稿を書き終えた時点で、「ちょっと調べてみるかぁ~」と軽い気持で調べだしたら、こりゃ大変!
本サイト「各町の地車」には、大正13年製作、大工は名古屋の宮大工、彫物師は辻田友次郞と記してある。
「ありゃ~、辻友、死んでるやん」。この時点で「このサイトのデータ間違ぉ~てるぅ~」なのであるが、ことはそれだけでは収まらない。
「彫物師は、誰だ、誰だ、誰だ・・・・?」、頭の中をその言葉が駆けめぐる。
地車彫刻研究のバイブルとも言える『大坂・浪花木彫史』によると、辻田友次郞は明治41年1月11日没。
くしくも、1月11日は月命日。
「間違いは正しなはれ」とあの世からの声なのか・・・・?
何やら神秘的(霊的)なものも見え隠れ・・・・。
果たしてこの結末は・・・・?
この続きは、次回の『だんじり通信』で!
それまで皆さん、悶々とした日々をお過ごし下さい。
ではまた・・・・
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