神武天皇の即位を祝う・・・・
まいど、だん馬鹿っす!
明日2月11日は、建国記念日。今年3回目の国民の祝日。
「えっ、今年3回目!?」と思うかも知れませんが、1月1日の元旦、1月11日の成人の日に続く、今年3回目の祝日なのです。
建国記念日は、「建国をしのび、国を愛する心を養う」趣旨の国民の祝日。
かつては『紀元節』という祝日で、『日本書紀』が伝える、我が国の初代天皇である神武天皇が奈良橿原の地に宮を築き、即位したことを祝う日。
明治5年12月に明治政府が定めた神武天皇即位日の祝日で、当初は1月29日に定められましたが、翌年3月には『紀元節』と命名。同年10月、その日は2月11日に変更されました。
日本書紀では「元旦に即位した」とされているようですが、歴史的根拠があいまいな祝日を制定した意図は、明治政府の天皇を中心とした国家支配の正当性を内外に誇示することにあったとも言われています。
神武天皇が即位したのは、今から2670年前の2月11日(紀元前660年)。皇紀とは、その年を「元年(紀元)」とする我が国の「紀年法」で、今年は皇紀2670年にあたります。
奈良県橿原市の橿原神宮は、橿原の地に宮を建てられ即位の礼を行なった宮址に、明治23年に創建され、第一代の天皇であり我が国建国の始祖となられた神武天皇と、その皇后(ひめたたらいすずひめ)が祀られ、今日も人々の信仰を集めています。

さて、この神武天皇は、数多くの地車に地車彫刻の題材、登場人物のひとりとして彫られています。

「神武天皇、東夷征伐」、「神武東征、八咫烏(やたがらす)」がこれにあたります。
神武天皇が45歳の時、兄弟や子供から「東に良い所があると聞く。恐らくそこが日本の中心地だろう。そこに行って都を造るに限る」と言われ、彦五瀬命(ひこいつせのみこと)、稲飯命(いなひのみこと)と共に兄弟3人で日向を発った。
宇佐、筑紫、安芸、吉備などの国を経て、生駒山を越えて大和に入ろうとする。しかし、大和の長髄彦(ながすねひこ)の激しい抵抗に合い、進路を阻まれる。
この時、神武天皇の長兄の彦五瀬命(ひこいつせのみこと)は傷を負い、それが元で亡くなる。
神武天皇は、太陽に向かって攻撃するのが良くないとして、熊野へ迂回。この時、暴風に遭い、少しも前に進むことが出来ず、その状態を嘆いた次男の稲飯命(いなひのみこと)は海に入って死んでしまう。

神武天皇はやっとの思いで熊野にたどり着き、険しい山中をさまよっていたところ、黄金に輝く八咫烏(やたがらす)に導かれ、苦労の末に長髄彦(ながすねひこ)を滅ぼし、東征から6年目で橿原の地に宮を築き、即位するのである。
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