神をも恐れぬ暴挙!『あんた、ええ死に方せぇ~へんで・・・』
毎度、だん馬鹿っす

3月に入り、あちらこちらから地車関連の情報が私の耳にも届くようになりました。
修理を終えての町内搬入・入魂式やイベントなど・・・・。中には「えっ!」と思うような話もあり、モラル的に紹介できない内容も・・・・。
「正確な情報をいち早く」をモットーに、日々情報収集に努めてまいりますので、よろしくご愛顧のほどを!!
また、ご覧の皆様からの情報もお待ちいたしております。
さて今日の「だんじり通信」は、地車愛好者・地車研究者をはじめ、地車をこよなく愛する者達にとって、とても残念でならない出来事を紹介したいと思います。
皆さんもご存知の通り、今年5月に新調される熊取町小垣内の地車。
新調に先立ち、昨年11月には先代地車の昇魂式・曳き納めがおこなわれたのは、記憶にも新しいところ。

明治13年、岸和田市筋海町が新調したもので、同町の三先代地車にあたります。
大正9年には小垣内に譲渡され、「熊取最古の地車」と云われ、昨年まで小垣内町民の宝物として曳行されてきました。
現在は、熊取交流センター『煉瓦館』にて常設展示・保存され、数多くの地車ファンが見学に訪れています。

現役で曳行されているうちは、なかなか彫物などの写真撮影もできず、「名地車」であるがゆえ、以前から歯がゆい思いをしていました。
たまたま、友人達と煉瓦館を訪れた折、お会いした熊取町職員のSさんに見学と写真撮影をお願いしたところ、後日連絡をいただき、逆に彫物図柄や地車に関する調査を依頼され、2月28日の日曜日に同館を訪問させていただきました。
念願がかなった写真撮影。
しかし、調査ともなると日頃からの見学会などとは違い、同行の友人達も真剣そのもの・・・・?
撮影準備に取りかかろうとした矢先、ふと気が付いたことが・・・・。
以前、地車の前部勾欄に取り付けられていた「番号持ち」の彫刻が取り外されていたのでした。
どの地車にも簡単に取り付けられているため、盗難を避けるために外されたのではと思い、職員の方に尋ねたところ驚愕の答えが返ってきたのです。

まさかとは思っていましたが、残念なことに盗難にあったのだとか。
不特定多数の方が出入りする公共施設。心ない人による暴挙、子供のいたずら、はたまた法をも恐れぬ地車マニアの仕業か・・・・?
昨今、インターネットのオークションにも地車彫刻が出品されている時代、「金にしたろかえ」という輩の仕業なのか?
ここひと月余りの間に、まさか・・・・(ショック)。
これまでにも、地車を常設展示している『岸和田だんじり会館』でも、このような被害にあっていることを職員の方から耳にしています。
また、大阪市内の某神社で保存中の地車からは、鉦や太鼓などの「鳴物」一式が盗難にあったことが新聞でも報道されました。
これらが、地車をこよなく愛する者達の中の極一部の心ない人の仕業であるのなら、志を同じくする者の一人として、残念でなりません。
往古から、「地車の彫物は家に入れると良くない」とか、「宮さんのものを家に持ち込むと災いが・・・・」などと年配の方からお聞きします。
実際に、災難にあった人もいます。私の田舎では、神社の枯木を風呂の焚きつけに持ち帰ったところ、その人から三代に渡って、気が狂ったという話もあります。
神聖な神に対しての恐れ、それにかかわる物への敬意から、そんな話が生まれたのかも知れません。
今回の盗難も、言わば「神をも恐れぬ暴挙!」、「人の道を外れた行為!」。
私に言わせれば、「おまえは、下の下の下~のゲス野郎」、「罰があたって死んじまえ~!」なのです・・・・(もっとえげつなく書いてもいいくらい)。
思い出の詰まった地車を煉瓦館に寄贈した小垣内の町民の方々も残念でならないはず。
もし盗んだ人がこのブログを見ているのなら、誰にも気づかれないうちに、そっと戻してやって下さい!
盗んだ者を知っている人は、返すように言ってやって下さい!
自分の部屋の片隅に置き「にたっ」と頬笑んでいるのか、人目に付かぬよう押し入れに仕舞い込んでいるのか?
少々、地車・地車彫刻に興味ある者が見れば、出所なんかお茶の子さいさい!
これだけ書いても返さへんかったら、『あんた、ええ死に方せぇ~へんで!』。
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