茶屋のだんぢり漫遊録

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和泉市信太・幸地区 宮本町地車見学会レポ その弐・・・・

毎度、だん馬鹿ッスチョキ

咲き誇っていた桜の花も、今が散り初め。
舞い散る桜の花びらも、これまた風流・・・・。
しかし、お花見の季節が終わったわけではありません。
今日4月14日(水)から4月20日(火)までの7日間、大阪造幣局では『桜の通り抜け』おこなわれます。
桜も品種が違えば、開花する時期も違います。もうしばらく、桜の花を楽しむことができるでしょう。にかっ

さて今日の『だんじり通信』は、前回に引き続き、和泉市信太・幸地区 宮本町地車見学会レポのその弐でおます(その参は無いので、今日が最終回なのですが・・・)。

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前回は屋根廻りの彫物構成などを書きましたので、今日は腰回りと見送り廻りのついて書いてみたいと思います。

まずは、番号持ち。「酒は飲め飲め、飲むならば・・・・」でおなじみ?『黒田節』。

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酒豪で知られる黒田氏の武将 母里太兵衛に、これまた酒豪の福島正則が酒を勧め、見事飲み干して褒美に豊臣秀吉から拝領した正則自慢の名槍「日本号」を貰うという逸話に基づくもの。
母里太兵衛の豪快さを自町の町風になぞらえたものかと思うのですがどうなんでしょうか・・・・?

そして勾欄合は、花札の図柄をモチーフに彫られています。

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往古から、勾欄合にはよく花鳥ものの図柄が用いられるのですが、花札の図案を取り入れたものは小生これまで見たことがなく、短冊まできちんと彫られていました。
普段から見慣れた花鳥ものとは一風変わっていて、「これはおもろい!」と小生を唸らせてくれました。

左右の松良は《太平記》からの題材。右に『湊川合戦』。
左に『千破剣城合戦』。

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それぞれ上・中・下の三段に分割され、三つの場面で構成されています。

縁葛・大連子・小連子・土呂幕は、正面に徳川家康、右面に織田信長、左面に豊臣秀吉の天下統一の偉業を成し遂げた三武将に関連する題材を配置。
左右の縁葛は、横に長い縁葛を二分して、二つの場面が彫られています。

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しかし、正面の大連子には『川中島の合戦』が彫られており、関連性がないように思われますが、町内で何らかの意図があってのことなのでしょうか?

見送り廻りや小屋根枡合に目をやると、『源平合戦』からの題材で統一されており、見送り内は『源平大海戦』と称し、「屋島・壇ノ浦の合戦」の名場面の数々が配置されています。
ひときわ目を引くのが、見送りの奥に配された平家の軍船の上で大きな碇を持ち上げている平知盛の姿。

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その横には、安徳天皇を抱く二位尼(平時子)。
幼き帝に、「浪の下にも都の候ぞ」と言い聞かせ入水する、もの悲しいストーリー。

左右の大脇上の物見には、両軍の総大将である源頼朝と平清盛の姿も・・・・。

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両将が左右から、合戦の場面を眺めているようにも思えます。

左右の脇障子は「一の谷合戦」の名場面。右に「鵯越え」、左に「生田の森、梶原景季 箙の梅」。
左右の大脇には、『旭将軍』と称された木曽義仲に関連する場面。

見送り下の三方と摺り出し受けには、兄である頼朝に追われる源義経に関する場面。
また、奥州衣川で非業の最期を遂げた義経は、白龍と化し天に昇ったとの伝説が、旗台に刻まれています。

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最後に、見送りの犬勾欄には「波涛に舞うイルカ」が彫られており、勇壮ではあるが殺伐とした合戦の場面の数々に対し、見る者に安堵感を与えてくれているようにも思えました。

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まだまだ紹介したいところもあるのですが、宮本町地車見学レポはこのへんでお終い・・・。
それにしても、彫られている合戦の名場面の多かったこと、多かったこと。
考えられた新調委員の方もそうでしょうが、実際にノミを振るった野原 師も大変なご苦労があったことでしょう。
「まさに贅を尽くした地車の一台」と感じ入りながら、帰途に就きました。

見学に際し御協力いただきました宮本町町会・保存会をはじめ祭礼関連団体の皆々様には厚く御礼申し上げます。
また機会があれば、見せてくださいねぇ~!
ありがとうございました。


信濃屋お半だんじり通信
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