試験曳き、本祭りを前に、河内長野市西代 入魂式・・・・
まいど、だん馬鹿です。
岸和田祭か終わって以来、肉体的にも精神的にもフラフラ状態が続いている私・・・・。
ついには、この「だん通」の原稿を書き、サイトへアップしているこのPCもここ数日、ヘロヘロ絶不調。
飼い主、いや使用者に似るのか、だましだまし使っている私のイライラもつのるばかり・・・・。
今日の「だん通」が本番更新できるのか?、フラフラの私とヘロヘロPCとの最強フラフラヘロヘロコンビでお届けする本日の「だん通」のお題は、9月25日(土)におこなわれた河内長野市長野地区 西代の地車修理完成入魂式レポートです。

西代の地車はというと、私の住む堺市津久野地区で曳行されていたもの。
昭和後期の堺市内における新調ブームの中、昭和59年、大東が岸和田市の《池内工務店》池内福治郎 師に依頼し新調。
「化粧枡」は施されてはいないものの、見送りには岸和田型地車の「立体見送り」が配された、折衷型の上地車。

彫物は、滋賀県醒ヶ井の井尻翠雲・富山県井波の中山慶春らの手による地車。
大東の現 岸和田型地車新調に伴い、平成17年からは西代にて曳行。
購入から5年目の今年、岸和田市西大路町の《北本工務店》北本信広 棟梁により、大がかりな修理がおこなわれました。

まずは、台木の交換。岸和田型地車の平台木から、波頭・彫刻の施された台木へ交換。
やはり、上地車には波頭の台木がよく似合う!
私にとっては、見慣れた大東曳行時とはまったく違った雰囲気。
そして、今回の修理では、柱や肩背棒も交換されています。
また、正面の勾欄部分に新たに「番持ち」が取り付けられました。

西代神社の宮本、『宮壱番』と「枡」をあしらった台座に刻まれた楠木正成の番持ちは、近年売り出し中の若手彫物師、《木彫片山》片山 晃 師の作。

右手に持つ「枡」の中には、『 「山 』の印が刻まれるほどの凝りよう。
入魂式当日、お見えになっていた北本 棟梁も、「よぉ~なったやろ」とのお言葉。
池内工務店の後を任され、大東時代からこの地車にたずさわってきた棟梁も、これで、まさに西代の地車に生まれ変わったことに感無量といった感じ。

私 だん馬鹿さんにとっても、新たな地で西代の町民に愛され、大切に曳き続けられて嬉しいかぎり・・・・。
大東町民に成り代わり、厚く御礼申し上げます!

さて当日は、午前中に西代神社にて、安全曳行を祈願して神事がおこなわれた後、昼食を兼ねた式典を挟み、夕刻まで町内をくまなく曳行。

途中、前部の肩背棒を押さえ込み、地車の後部を持ち上げ、スラロームをおこなうなど、10月3日(日)の試験曳き、10月9・10日(土・日)の本祭りを目前に控え、本番さながら・・・・。

長野名物の「ぶんまわし」は見損ねてしまいましたが、久しぶりに見る上地車の曳きまわしに、私も満足満蔵・・・・。
私は、所用のため昼過ぎに河内長野を後にしましたが、後ろ髪を引かれる思いでした・・・・。
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