八田荘駅伝大会と八田南之町小屋開き、そして・・・・
まぁ~いど、だん馬鹿です

「正月やぁ~」と思っていたら、あっと言う間に成人の日も過ぎ、今日は1月11日。
前回の「だん通」更新から、あれよあれよの一週間・・・・。
恒例の年末年始「だん通」集中更新の影響か、少々更新期間が空いちゃいましたが、ネタ不足に悩むこの季節、少々ご容赦いただきまして(年がら年中ですが・・・反省)、今日も「だん通」の始まり始まりぃ~!
今日の「だん通」は、八田荘駅伝大会と、その応援を兼ねておこなわれた八田南之町の新春地車小屋開き・鏡開きの模様をお伝えするのですが、今日1月11日更新の『だんじり通信 eo SE』でも、ほぼ同一内容でお届けしております。

ちなみに、同町の友人M1さんをはじめ、顔見知りの皆々様からの切なる希望。普段からできるだけケータイ・PC同一ネタにならないようにと考えているのですが、ネタ不足に悩む昨今、願ってもないとうか、超ラッキーというか・・・・、日頃から誘惑にはめっぽう弱い私。
その代わりといっては何ですが、今日の「だん通」の最後には、この南之町関連の新ネタを公開!
もちろん eo の方には書いてませんので、PCだけしか見ていない人にはご内密に!!
ほな、今日は少々長くなるかも知れませんが、本題に突入しまっさぁ~。
去る1月9日(日)、堺市八田荘地区で、『第59回 八田荘駅伝大会』が開催されました。その応援を兼ねて、八田南之町の新春小屋開きと鏡開きがおこなわれると、友人M1さんから連絡。
当サイト「情報投稿コーナー」でも紹介させていただきました。
当日は、地車を小屋から出し、鉦や太鼓の鳴り物で応援、また、地車の金網も全て取り外しているとのことで、多くの地車彫刻ファンもカメラ片手に訪れていました。

この駅伝大会は、昭和27年1月15日、八田荘小学校校区の青年団主催で成人式のお祝いとして始まりました。
それ以降、ほぼ毎年開催されています。
現在は八田荘校区体育指導委員の主催、同校区自治連合協議会の後援で行われています。
参加しているのは、八田荘校区のうち、毛穴町・八田寺町・堀上町・東堀上・八田北町・八田南之町の6町会、かつて八田荘校区に入っていた平岡町・家原寺町の8町会。
そう、地車ファンにはおなじみ、八田荘地区で地車曳行している全町会が参加。
現在は堺市の区制・小学校の分校などの事情で、区・校区も異なっていますが、だんじり祭と同様に古くからの地域のつながりが保たれている伝統行事と言っても過言ではないでしょう。
スタートは、午前9時。コースは、参加各町の町内を通る全長7キロ弱。
9時10分くらいに南之町地車小屋前を通過する予定。
今か今かと町内関係者が待っていると、先導の原チャリを先頭に各町のランナーが通過。

地車に積まれた太鼓と鉦で参加ランナーを応援。

最終ランナーが通過し終えるまでの数分間ではありましたが、祭りさながらの地車囃子でした。


その後、南之町若頭会長I氏の挨拶。全員で地車の大屋根正面枡合に彫られている氏神 蜂田神社の御祭神 天児屋命(あめのこやねのみこと)に拝礼。

町内関係者、地車見学に訪れた地車ファンにぜんざい・清酒が振る舞われました。
私も大好物のぜんざいに舌鼓。ぜんざい2杯、お餅5コを完食。なかなか美味、ごちそうさまでした。

私はお餅を焼く火にあたりながら、お昼過ぎまで友人・顔見知りの面々と地車談義に華を咲かせ、その後帰路につきました。
ちなみに、男女2チームが参加した八田南之町。
その順位は・・・・、聞くの忘れちゃいましたぁ~。
さて、このからが当サイトをご覧いただいている皆様方だけにお知らせする最新情報。
この八田南之町の地車小屋には、赤く彩色された(ペンキの塗られた)獅噛みが残されています。
以前は二面だったのですが、最近、残る一面も町内で見つかり、三面が揃いました。

この獅噛みは、同町の三代前の地車のもので、先々代地車(現 守口市八雲南地車)購入の時に解体焼却されたもの。
この時、自宅に彫物を持ち帰っていたようで、近年、幸いにもこの獅噛みが発見されたのです。
この三先代の購入径路について、これまで町内では、昭和初期に堺市鳳方面から購入したものと伝えられてきましたが、どこの町なのかは解らずじまいでした。
先日のこと、鳳地区大鳥の地車関係者の方より、寄り合いで先代地車のことが話題になり、そのメンバーの一人から「八田南に売ったとおじいちゃんから聞いている」との発言があったことを聞きました。
大鳥の現地車は、昭和6年の新調。
これまで、売却先は不明とされ、地車研究者の間でも話題になること度々。
確証はないにしろ、そういう口伝があるのなら、おそらく間違いないでしょう。
このようなケースは希ですが、購入先や売却先の不明な地車も数多く存在しています。
昭和初期に生まれた人とて、80歳前後。
明治・大正の話しのみならず、昭和の話しとて風化が危惧される昨今。
地車の研究も困難を極めています。
町・村を上げて、そのような話しの数々をまとめておくのも必要なのではないでしょうか。
ほな、今日はこのへんでオ・シ・マ・イ・・・・。
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