遅くなりましたが、堺市楢葉地車のレポートです・・・・
まいろぉ~、だん馬鹿です

先週、この「だん通」の本番更新直後、私のPCの電源がシャットダウン。
電源はどうにか入るものの、Windowsの画面が立ちあがってきません。
以前から調子が悪かったのですが、公私ともに酷使に耐え、共に闘ってきた戦友とも云うべき愛機。
すぐさま本社に連絡し、修理のために本社へ持ち帰ってもらったものの戦闘不能状態。
かろうじて、データは取り出せるようで、とりあえずは事なきを得たものの、戦友を失った私の悲しみは、底知れぬもの・・・(涙)。
週末には、代替機が私の手元に届いたものの、使い勝手も違い、悪戦苦闘の連続。
そのうち、手にもなじんでくるのでしょうが、はてさてどうなることやら?
散って逝った愛機P子ちゃんの冥福を祈り、合掌…(皆さんもご一緒に!)。
さて、愛機P子ちゃんと共に暮らした2年と11ヶ月。このサイト立ち上げ準備期間からの同棲生活。
その間、近畿一円の地車をP子ちゃんの身体を借りて、皆さんに紹介してきました。
しかし、あちらこちらの地車を紹介していても、「ん、ちょっと待てよ…」と考えることも度々あります。
そんな時は、実際にその地車を見に出かけることにしているのですが、祭りは年に一度、なかなか見ることもできません。
「どないしても見とかなぁ~」と思えば、友人・知人、それこそ初対面の人にでも無理を承知でお願いし、小屋を開けて見せてもらうことも・・・。
昨年も、とある目的で一台の地車を見せてもらいに出かけました。
私の生まれ育った津久野とは、試験曳き・祭礼日も同じ、堺市久世地区 楢葉。
去る7月18日(日)、真夏の日の取材でした。

楢葉の地車は、昭和3年に泉佐野市日根野 野々地蔵にて新調された『岸和田型』地車。
昭和24、25年ごろの祭礼時での事故のために大破し、曳行休止。

その後、昭和40年に貝塚市木積が購入。木積の現地車新調にともない、楢葉が購入。
平成8年6月23日には、入魂式がおこなわれています。

製作にあたったのは、岸和田の《大安》山内安太郎。
彫物は、櫻井義国の招きで岸和田にやって来た関東の宮彫師 一元林峰の弟子、野村 正の手によるもの。
これまで、昭和57年に《植山工務店》にて、枡組を付け足すなどの改修がおこなわれ大型化。
この時、筒井和男 師の手により、松良や見送り内の武者の一部が新調されています。


また、平成20年にも同工務店にて大屋根・小屋根・台木などの屋形を新調入れ替えする大修理がおこなわれ、装いも新たになりました。

この時には、大屋根正面の懸魚や勾欄合の彫物を新調。

新調された懸魚には、明治42年11月26日に野々宮神社に合祀された、楢葉の氏神さまであった八坂神社が再現されています。
さてさて、この地車を見に出かけた目的のひとつが彫物図柄の調査。
特に土呂幕の左右・大連子の題材が、私の頭をキリキリと痛めていた原因。
もうひとつが、この地車の彫物を細工した野村 正とは兄弟弟子にあたる、田沼源治という彫物師さんの作品がこの地車に組み込まれているどうかということ。
その調査の結果は、次回の「だんじり通信」を見ていただくとして、ひとまず今日はこのへんで・・・。
ほな、次回をお楽しみに!!
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