少々簡単ですが、今日の「だん通」は、堺市伏尾地車の見学レポです・・・・
どもぉ~、だん馬鹿です

毎度のことながら、少々更新期間が空いてしまい申し訳ありません。
このブログを楽しみにしていただいている皆さんには、心苦しい限り・・・・(ゴメンなちゃい)。
未曾有の被害をもたらせた「東日本大地震」の発生から、早いもので半月が過ぎました。
近畿に住む我々にとっては、何ら普段と変わらぬ生活を送っている毎日。
しかし、被災地では多くの人たちが、不自由な生活を送っています。
ノホホンと日常生活を送っている私とて、少しでも何かできることはないか、何か協力できることはないかと、このサイト・ブログの取材を兼ね、友人・知人たちとおこなっている地車見学会の場で募金活動を始めました。
当サイトに協力していただいている『上地車新報』、私 だん馬鹿さんも所属する『南河内地車愛好会 河秋会』、そして我が地車総合サイト『だんじり』が発起人となり、『関西地車交流会』の名前で、先々週から義援金の募金をおこなっています。
その一回目が宝塚市小濱・上安倉、一昨日は大阪狭山市 池の原の地車見学の場をお借りしておこないました。
今後も見学会などをおこなう場合は、「東日本大震災チャリティー地車見学会」として募金活動をおこなう予定。
義援金は、『日本赤十字社 東北関東大震災義援金』に全額寄付させていただきます。
近日中には、超ビックな見学会を告知させていただきます!
どこの地車を見に行くかは、まだヒ・ミ・ツ。
ひとりひとりの小さな積み重ねが、被災地の皆さんを勇気づけます。
一人でも多くの皆さんの参加・御協力をお願いいたします。
さて、今日の「だん通」は、前回まで三度にわたりお伝えした堺市楢葉の地車見学レポの取材当日の午後から見せていただいた、堺市久世地区 伏尾の地車について書いてみようと思います。
伏尾の地車も、じっくり見る機会がなかっただけに、ワクワクのひと時でした。

伏尾の地車は、昭和初期に貝塚市石才において新調された『岸和田型』地車。
製作大工は《大弥三》田端元一、脇棟梁として実弟の角野庄太郎が手を掛けたとされています。
彫物は、当時、関東から岸和田にやって来ていた《一元》一門の彫物師によるもの。

石才の現地車新調に伴い、平成7年に伏尾が購入。同年5月21日に入魂式がおこなわれています。
現在の大屋根は「入母屋造り」ですが、新調当時は「切妻造り」。これは、石才時代の昭和57年におこなわれた《池内工務店》での大修理で変更されています。
今回、伏尾の地車を見せていただいた目的のひとつが、《一元》一門のどの彫物師の手によるものなのか。また、私の好きな彫物師 田沼源治の作品があるのかないのか?
もうひとつは、土呂幕正面と左面など不明な彫物図柄の調査。

地車を小屋から出していただき、じっくり目をやっていくと、大正9年新調の岸和田市大北町を皮切りに、貝塚市橋本(現 堺市太平寺)、泉佐野市鶴原、岸和田市大工町などの地車を手掛けた一元林峰の作風の彫物が多く見受けられました。

他にも、一門の野村 正の作品と思しきものもちらほら。問題の田沼源治は?、と言うと正面の小連子などがそうではないかと思うものの確証はなし。

仕上げをおこなった人物によって、顔の表情などにも多少の違いはあるでしょうが、まさに一元林峰が中心となり、一門の彫物師らの手により製作された地車と言えるでしょう。

残念ながら、土呂幕正面や左面の図柄などは、家紋などが細工されておらず、決め手になるものも見当たりませんでした。
一元林峰は昭和3年に岸和田市宮本町において逝去されたと伝えられているので、逝去する間際まで仕事をこなしていたのであれば、昭和初期に新調された地車であると言えますが、大正後期に製作されている可能性も捨てきれず、今となっては製作年をうかがい知る可能性も、残るは石才町内での口伝や資料の発掘になるのですが・・・・。
彫物図柄・彫物師なども、浅学な私にとっては難問中の難問・・・・。ご存じの方は、ご教授のほどを!
そして、この伏尾の地車にはユーモア―あふれる彫物が細工されていることを発見!
それは、見送り下左右の連子。

右には、大福帳を片手にした鬼の姿と逃げまどう親子の姿。題して、「鬼の借金取り」。

往古、日ごろの買い物は、掛けツケが常。月末ともなれば、代金を取りにやって来ます。
代金を払えず、夜逃げなんてこともあったのでしょう。
左には、女の手を引き、二人で逃げるカップルの姿。

そして、「待てよぉ~!」と言わんばかりの男の姿。

親の反対を押し切っての「駆け落ち」。はたまた、間男が人妻を連れてのものなのか・・・・?
平成の今日でもありうる光景が、ユーモア―たっぷりに彫られていました。
彫師さんの遊び心、見る人への戒めなのか、それは定かではありませんが、合戦ものの多い地車彫刻の中でも、ホッとさせられる題材の彫物ではないでしょうか。
私にとっては、少々謎めいた伏尾の地車。
また機会があれば、じっくり見てみたいものだと思いながら、地車小屋を後にしました。
昨年、真夏の炎天下の中、ご協力いただきました伏尾の皆様方には厚く御礼申し上げます。
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