茶屋のだんぢり漫遊録

目次

遅くなって申し訳ない! 和泉市上代町の新調地車の紹介です・・・・

どもぉ~、だん馬鹿ですチョキ

街角の桜の花は、早くも満開!
私の人生も満開といきたいところなのですが、そうは問屋が卸してはくれません。

4月に入り、入学式なのでしょうか、桜の木の下をお母さんに手を引かれた子供たちの初々しい姿を目にします。
私にもこんな時があったのかと思うと、あの時はこうしておけば私の人生も違っていたのではと後悔すること暫し・・・・。
しかし、私の気になるのは、子供の手を引く若いお母さんの方・・・・。
いつになっても、不埒な性格は治らない、私 だん馬鹿さんなのです・・・・(笑)。

前回の「だん通」で御紹介しました『第3回東日本大震災チャリティー地車見学会』。
およそ5年ぶりの、橋本市市脇先代・東家地車の見学。
昨今、見学会に来られる顔ぶれも、少々変わってきているので、初めて目の当たりにする方も多いのでは・・・・?
気がかりなのが、当日の天気。
週間予報では、今のところ良さそうなのですが、女心のようにコロコロ変わるのが天気予報。
中止の場合は、当日の午前中に当サイト内(おそらくTOPページの「トピックス」で)お知らせしますのでよろしくお願いします。
ひとりひとりの小さな積み重ねが、被災地の皆さんを勇気づけます。
誰でも参加できますので、多くの御参加・義援金募金への御協力をよろしくお願い致します。

>>『第3回東日本大震災チャリティー地車見学会』の詳細を見る

さて、今日から数回にわたってお届けするのは、昨年8月29日に新調入魂式がおこなわれた、和泉市信太・幸地区 上代町地車の御紹介。

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信太・幸地区も、上代町の地車新調をもって、9台全てが『岸和田型』地車に移行。

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信太名物「爆弾坂」を、独特の地車囃子で、地車の前を持ちあげ下って来る、あの曳行風景も見られなくなってしまったかと思うと、少々残念な気もします。
曳行形態の変化がもたらせた結果、これも時代の流れと云ってしまえばそれまでですが、どのような形であれ残していただきたかったと思うのは私だけなのでしょうか・・・・。

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上代町の新調地車は、大屋根 切り妻造り、三手先七段の『岸和田型』。
小屋根枡合は、立体見送り風の『二重見送り』と呼ばれる細工。

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全高3780ミリ、全長4160ミリ、大屋根幅2430ミリ。
最近新調された地車の中では、小ぶりな方ですが、どうしてどうして、その姿見は威風堂々。
切り妻ファンには、たまらない一台かと・・・・。

製作にあたったのは、岸和田市筋海町の地車製作《隆匠》田中隆治 匠。
彫物は、高濱輝夫・山本仲伸・片山 晃・近藤 晃・筒井 伸・前田暁彦・澤 義博の錚々たる顔ぶれ。

同町地車の彫物題材は、「天下泰平」の世界観を基調とし、製作されています。
その基となったのが、町内の黄金塚古墳から出土した国の重要文化財に指定される「画文帯四神四獣鏡」。
古墳時代(3世紀中頃~7世紀末)に造られたその銅鏡には、西王母・東王父・黄帝・狛牙の四神の図柄が施されており、それらが互いに影響しあい平静を保っている様、すなわち「天下泰平」の世界観が表わされています。

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それらの神々は、大屋根四隅の枡組みの「隅出す」の彫刻に採り入れられ、この地車の無事曳行を祈念しているようにも思えます。

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また、正面左右の「木鼻」の唐獅子は、その銅鏡を手にしています。

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大屋根枡合に目を向けると、正面に「天地創造 別天津神」。

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『古事記』において、別天津神(コトアマヅカミ)は、『古事記』において、天地創発の時に無より生まれた最初の五柱の神々のこと。
天地開闢の際、高天原に、至高の神である天之御中主神(アメノナカヌシノカミ)、征服や統治の神である高御産巣日神(タカミヌムスヒノカミ)、生産の神の神産巣日神(カミムスヒノカミ)が現れ、その次に、国土が形成され海に浮かぶクラゲのようになった時に現れたのが、宇摩志阿斯訶備比古遅神(ウマシアシカビヒコヂノカミ)と天之常立神(アメノトコタチノカミ)の二神。
これら五柱の神は、後に現れた神々よりも尊いとされ、天津神の中でも特別な存在として「別天津神」と呼そうです。

『岸和田型』地車においては、大屋根枡合は『日本神話』まとめられることが多いのですが、この題材は後面の「斎場の稲穂」と共に初めて用いられた図柄かと・・・・(私の知る限り)。

右は「天孫降臨」。

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左に「天之岩戸」。

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この三方は、《木彫山本》山本仲伸 師の手によるものです。

そして、後には「斎庭の稲穂」。

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『日本書紀』の天孫降臨の段に載る、天照大神が孫の瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)らに下した3つの神勅(神さまの命令)のひとつ。
『吾が高天原に所御(きこしめ)す斎庭(ゆにわ)の穂(いなほ)を以て亦吾児に御(まか)せまつるべし』と命じたもの。 
『私が高天原で収穫している祭りの庭の穀物を我子らに授けてあなさい』という意味で、天照大神が人々に「稲作の道」を教え、人々が生活していく上に重要な「食の道」をお示しになられたられたお話し。

至高至貴の天照大神でさえ、高天原において稲作に従事し、その教えは単に言葉だけでなく、大神が御身を以て示されたことは、今日においても今上陛下が吹上御苑内に水田を開かれ、自らその耕作に従われておられるのも、正に天照大神の「お示し」に拠るものなのでしょうか。

こちらは、富山県井波の澤 義博 師の作。
これまで、泉大津市板原町の木鼻や大阪狭山市山本の獅噛み(平成21年修理時)などを刻まれていますが、枡合を細工されたのは、この上代町が初めてかと・・・・。

大屋根枡合に施された『日本神話』のお話も、ひとつひとつの話を調べていけば、我々日本人の精神社会が垣間見えるのでしょうか・・・・。

そして、お次は腰廻り部分へと続くのですが、本日はここまで・・・・。
次回をお楽しみに!

ほな、バイナラ!

信濃屋お半だんじり通信
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