和泉市上代町の新調地車の紹介、本日が最終回です・・・・
どもぉー、だん馬鹿です

昨日は、大安吉日、お日柄もよろしく、各地で入魂式・お披露目曳行が盛大におこなわれました。

堺市 栂・高石市 土生・生野区 岡は、地車買い替えにともなうもの。

岸和田市 本町・和泉市 太町は、修理に伴うもの。
また、兵庫県伊丹市 寺本では、今秋の地車買い替えに先立ち、現地車の昇魂式がおこなわれました。
その他にも、神戸市兵庫区では、地元の大工さんが長年に亘りコツコツと造り上げてきた子供地車が完成し、お披露目され、地元新聞社も取材に来ていたとか。
あいにくの空模様ではありましたが、いずれの町の人たちは晴れ晴れとした気持ちで、町の宝である地車を曳行されたことでしょう。
ちなみに、私 だん馬鹿さんは、堺市上神谷地区 栂の入魂式の撮影を担当。
時より降る雨と見物人の多さに、少々戸惑いながらも、久しぶりに見る「やりまわし」を堪能させていただきました。
これらの模様は、後日、当サイトの「入魂式・イベント特集」で、写真・ムービーでご紹介しますのでお楽しみに・・・・!!
さて、今日の「だんじり通信」は、前回に曳き続き、昨年新調された和泉市上代町の地車紹介の4回目。
今回は、小屋根・見送り廻りのご紹介です。
小屋根の枡合は、最近の新調地車ではあまり見られなくなった「二重見送り」形式で細工されれています。
これは、小屋根の内部の空間を利用し、岸和田型地車の見送り同様に屋形や人物などの彫刻を施したものです。
上代町地車の場合は、一見普通の枡合いのようにも見えますが、内部にも人物像などが配されています。

図柄は、神功皇后の伝承にまつわるもので、小屋根の内部に神功皇后を置き、枡合三方は三つの物語が彫られ、「神功皇后縁起」と題されています。

後正面は、「武内宿禰、大牛を投げる」。

右は、「武内宿禰、弓を討ちて大岩を砕く」。
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左には、「安曇磯良神出現」。
これは、神功皇后がおこなった三韓退治の際、新羅との戦いで勝敗を決するきっかけともなった、潮の満ち引きを自在にできる「干珠・満珠」を安曇磯良神を誘い出して得る話し。

前板には海中に舞台を構え磯良の好む舞を奏して誘い出す住吉神、その奥の内部には亀に乗った安曇磯良神の姿が彫られています。
そして、見送りは「一の谷合戦」からの題材。

坂落としでおなじみの「鵯越え」や、梶原景時が息子景季を助けようと駆け戻る「二度の懸」などをはじめ「一の谷合戦」に関連する題材が散りばめられています。

特に、その中心と云えるのが、「敦盛呼び戻す、熊谷次郎直実」。

敗色濃厚の平家方。騎馬で海上の船に逃げようとした敦盛を、名のある武将の首を上げようと思っていた熊谷次郎が「敵に後ろを見せるのは卑怯でありましょう、お戻りなされ」と呼び止める、一の谷合戦きっての名場面。
見送りの中央には馬上で扇子を持つ熊谷次郎の姿が、その前方には海の中から後を振り返る平敦盛の姿が彫られています。
立体見送り形式の小屋根枡合い、そして見送りは《木彫高濱》高濱輝夫 師の手によるものです。
お次は、見送り下。
腰組みを施しているため、見送り下は屋根廻りのようになっています。

そのために、縁葛を組もので支え、小連子・大連子は枡合いのように細工。「幟台」も組ものになっています。
小連子は三方ともに「花鳥もの」、四面の大連子は「通俗漢楚軍談」という漢の劉邦と楚の項羽が覇権をあらそった物語からの題材。

後正面の「張良、下鄙にて黄石公に遭う」などの彫物は、古い上地車などでもよく見られる図柄です。
見送り下大連子は、すべて《木彫片山》片山 晃 師のてによるものです。
町会、地車製作《隆匠》、各彫物師さんらが創意工夫を凝らし誕生した上代町の新調地車。
「天下泰平」の世界観を基調に、町民の思いが新たな結晶となりました。
町の宝もの・町のシンボルとして、幾久しく曳行されますことを願いながら、4回に渡りお届けしました上代町新調地車の紹介もこれで、お・し・ま・い。
取材に御協力頂きました、比良さん・藤原くんをはじめ、上代町の皆様には厚く御礼申し上げます。
チャリティー地車見学会の告知や私のインフルエンザ感染などで、更新間隔が空きましたことに、心からお詫び申し上げます。
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