今年最初の町内搬入、藤井寺市大井の地車・・・・
ども、だん馬鹿です

いやはやいやはや、昨日からTwitterでつぶやくことになった、だん馬鹿さんでおます。
当サイトのトップページには「だん馬鹿」公式アカウントなどと記されたバナーも貼られ、恥ずかしいやら照れくさいやら・・・・。
公式というからには、非公式(私的)なものも存在するのかと思われそうですが、そんなんありませんので悪しからず。
つぶやくにはつぶやけるのですが、Twitter超初心者の私にとっては、解らないことだらけ。
How to本(ガイドブック)片手に、悪戦苦闘・・・・(辛)。
何が辛い言うたかて、本の文字が見えません。老眼が進む今日この頃、当分の間は、How to本と老眼鏡が手放せないことでしょう・・・・(笑)。
まぁ~、とりあえず、ユーザーの皆さんご覧下さいませ!
もちろん、フォローするのも忘れずに・・・・(よろピク)。
さて、この時期、なかなか地車を見る機会も少なく、地車中毒症候群の方々は悶え苦しむ毎日を送られていることでしょう。
今年はどこの地車を見に行こうかと、早くも今年の祭り見物の計画を立てている方もおられるのでは・・・・?
地車にたずさわる者としても、今年の祭礼に向けあれやこれやと思い悩む方も・・・・。
町会役員、各種団体長などの方々は、胃も痛む思いかと。
まして、今年、地車の新調・買い替え・修理を控えている町の方々にとっては、楽しみではあるものの、何かと気苦労も多いのでは?
さてさて、去る1月8日(日)、今年10月におこなわれる秋祭りに向け、早くも一台の地車が町内に搬入されました。
所は、北に流れる大和川、東に二上・葛城の山々を望み、歴史ロマン薫るみどりのまち 藤井寺市の大井。
堺市美福連合 大庭寺の地車買い替えに伴い譲り受けたもので、昨年10月23日(日)におこなわれた同所の昇魂式当日に引き渡され、堺市草部の《小松工務店》小松宏行 匠の元で錺金物の取替をはじめ、修理がおこなわれていました。
大庭寺より譲り受けたこの地車は、明治期に製作されたと考察されるもので、新調年や製作大工は不明。
彫物は《辻田》一門の手によるもの。

大庭寺は、昭和8年に泉大津市豊中から購入。
豊中において新調とも云われているが、明治30年頃から所有していたと伝わり、それ以前に新調されたものであろう。

もともとは、『大阪型』の地車でしたが、昭和60年に《池内工務店》にておこなわれた大修理により、旗差し・旗台が取り付けられ、『住吉型』地車の形態に。
その後、平成11年には《小松工務店》にて、新たに化粧枡を組み込む等の大改修をおこない、現在の『折衷型』地車の形態へと改修されています。
この時新調された獅噛みや枡合い・正面の土呂幕等は《松本彫刻》松本幸規 師の作。
当日は、《小松工務店》が作業場に借りている草部の《倉西木工所》を出発。

搬送車に積み込まれた地車は、青年団をはじめ多くの祭礼関係者が今か今かと待ちかまえる中、午前7時すぎに大井町内の物流倉庫内に到着。


搬送車から下ろされ、取り外されていた箱棟が手際良く屋根に取り付けられ、無事搬入も完了。

ようやく町内に搬入された地車に、一同感慨深げ。

町民への御披露目も兼ねているのか、鉦や太鼓が用意され、『大井地車 祝 入魂式』と書かれた横断幕も張り出され、入魂式を思わせるほど。

ちなみに、入魂式は今春5月5日の予定。
これまで大井では、平成12年12月に同市藤井寺から譲り受けた地車を曳行していましたが、この程、本格的地車をめでたく購入。
昨年は、道明寺が地車を新調、北條の地車購入と、近年地車熱の高まりを見せる藤井寺市。
大井の地車購入により、その熱気も益々高まりを見せることでしょう。
今年5月の入魂式、10月の祭礼が今から楽しみでなりません。
町の宝物、地域の象徴として、末永く曳行されますことを願いながら、大井の地を後にしました・・・・。
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