堺市菱木地区 太平寺の先代地車の行方は・・・・
ども、だん馬鹿です

毎日寒い日が続いていますが、ユーザーの皆さんはいかがお過ごしでしょうか?
風邪などひいていませんか・・・。
弊社 モバイルテレビジョン(株)のY社長も、昨日から高熱のためダウン。
最近は社長自ら、当サイトの「だんじりフォトギャラリー」の写真切り出し・本番更新と、多忙を極めていたためなのでしょうか・・・?
そんなこんなで、明日に予定していた『だんじり通信』の更新を一日早め、今日はとっておきの情報をお届けすることに・・・・。
まぁ~、地車マニア多しと言えど、この情報を知る者はほんの一握りかと・・・・?
ここ数カ月、誰かに喋りたいのはやまやま、貝のように口を閉ざし、したためてきたとっておきのネタを本邦初公開!
さて、毎年のようにオフシーズンともなると、気になるのが地車の新調・買い替えなどに伴う旧地車の行方。
新調する町は、どこかへ地車を売却することになるのですが、その地車を譲り受けた町も、地車があるのなら、どこかへ売却する運びとなるのが常。
しかし昨今、中古地車もだぶつき気味。
昔なら、解体・焼却処分なんてことも珍しくはなかったようですが。
特に、岸和田型地車は今後の新調ラッシュの手伝って、中古市場も過剰供給が予想されています。
新調以来、何年間も買い手がつかず、工務店が預かったままなんてケースも・・・。
町内関係者のみならず、地車マニア・地車ファンもその動向が気になるところ。
私の住む堺市内において、一台の地車が買い手が付かないまま、町内の倉庫に保管されていましたが、ようやく購入先が見つかり、去る1月29日(日)に修理のため工務店へ搬入されました。
その地車は、堺市菱木地区 太平寺の先代地車。

太平寺の現地車は、貝塚市南近義地区 橋本より譲り受けた『岸和田型』地車で、平成22年4月25日に入魂式をおこない、同年の秋祭りから曳行されています。

それにともない、同町の先代地車は、平成21年11月8日に昇魂式がおこなわれ、買い手も見つからないまま、町内の倉庫で保管されていました。
この先代地車は、江戸末期から明治初期に製作されたと考えられる『堺型』地車。
これまでに幾度となく修理・改修がおこなわれ、もともと「板勾欄出人形式」であった勾欄部分も、平成6年におこなわれた修理により「擬宝珠勾欄」に改修。
しかし、『堺型(箱だんじり)』の形態を色濃く残す一台として、地車愛好者の間でも注目されていました。
くしくも平成21年の祭礼時の衝突事故により、「担い棒(肩背棒)」を破損。

昇魂式も無いままで曳行していたのが、印象に残っています・・・。

現役中、引退後も、地車を探している町が見に来ていたようですが、担い棒欠損といいうこともあってか、買い手も決まらないまま保管されていました。
そして、昨年の12月、私の耳にとある所から「どうやら買い手がみつかった」との噂話が。
なんと、購入に動いたのは・・・・?
それは、次回『だんじり通信』でのお楽しみ・・・・。
乞うご期待!!
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