続報、堺市菱木地区 太平寺先代地車の行方は・・・・
ども、だん馬鹿です

昨日は、バレンタインデー

皆さん、チョコレートは貰えましたか?
本命チョコを手に心臓ドキドキのお姉ちゃん、ちゃんと渡せたかな?
ちなみに私 だん馬鹿さんは、3個ゲット!
いくつになっても、男にとっては嬉しいものです・・・・。
さて、前回の『だん通』では、地車の買い替えに伴い、買い手の付かないまま町内にて保管されていた堺市菱木地区 太平寺の先代地車のことに触れました。
>>前回の『だん通』を見る
先般、ようやく買い手が見つかり、1月29日(日)、購入町に引き渡されるとともに、修理のために工務店に搬入されました。
今日は、購入した町をお伝えしようと思うのですが、その前に(結構引っ張るなぁ~)、太平寺地車の改修前、そう、まだ勾欄部が「板勾欄出人形式」であった時の写真が机の奥から出て来たので、見ていただこう!

どうです、シブイでしょ・・・・。
写真は、昭和51年に堺市鳳地区 野代の現地車新調の際に《植山工務店》が下取りし、昭和58年に太平寺が購入した直後のものかと。
『堺型(箱だんじり)』においても、「板勾欄出人形式」のものは非常に珍しく、平成6年の修理でこの板勾欄出人形・柱巻きの彫刻が外されたのは、箱だんじりマニアとしても非常に残念・・・・(涙)。
さてさて、ここからが本日の『だん通』の本題。
この太平寺先代地車を購入したのは、な・な・なんと(やたら引っ張るなぁ~)、堺市陶器地区 福町上(福上) 地車有志会。

現福町上の地車は、この地車有志会により平成19年に河内長野市三日市北部より購入されたもの。
もともとは、堺市中百舌鳥で曳行されていた数台のうちの一台で、大正9年に三日市北部が購入した地車。
この地車もまた、江戸末期から明治初期に堺の地車大工が製作にあたったと考察される『堺型(箱だんじり)』。
購入時に簡単な修理がおこなわれ、以来、有志会の手で運営・曳行されてきました。

これまでに大規模な修理・改修などはおこなわれておらず、原型を留める『堺型』の貴重な一台。
特に、見送り三枚板後正面は、土呂幕までの一枚ものの通し。

したがって、縁葛・勾欄部分は三方のみで、後正面まで巡らされていないタイプ。
彫物も、どうしてどうして、なかなかの出来栄え・・・・。

このタイプは、寝屋川市国松や尼崎市大官町(元 堺市津久野宮山)をはじめ、数台が現存するのみ。
『堺型』地車でも古いタイプであると思われ、「Made in Sakai」の名の元、堺市の文化財指定を受けてもしかるべき一台かと・・・・。
この地車も新調から100年以上の歳月を経て、老朽化・・・・。
本来ならば、屋形一式を作り変え、20年後、30年後と曳行し続けて欲しいのはやまやま・・・・。
しかし、多額の修理代金を考えると、一度大きな修理がおこなわれている程度の良い中古地車への買い替えも選択肢のひとつ。
名地車、貴重な文化財と言えども、三日市北部、福町上もしかり、地車の買い替えへと苦渋の選択・・・・。
福町上も、太平寺先代地車購入へと動いた次第。
とりあえず、今年の秋祭りは現地車を曳行。
太平寺から譲り受けた地車は、泉大津市の《泉谷工務店》にて欠損している担い棒(肩背棒)を取り付けるなどの修理がおこなわれた後、来年から曳行される予定。
ちなみに、現地車は売却を視野に、3月中にも売却を目的とした地車見学会をおこなう予定とか。
箱だんじりファンの私としては、この地車の文化的価値を把握した上で、購入・大修理・曳行してくれる町が現れることを願うばかり。
『だんじり発祥の地』と云われる堺市も、文化的価値を踏まえ、この地車を買取り、博物館に展示しても良いのではと思う、今日のだん馬鹿さんなのです・・・・。
堺市長、堺市教育委員会、市会議員の皆さん、是非御一考を・・・!!
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