茶屋のだんぢり漫遊録

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地車シーズンがもうそこまで! 岸和田市紙屋町地車の町内搬入・・・・

ども、だん馬鹿ですパー

前回の「だん通」の更新が4年に一度2月29日の更新だったため、今日が3月に入り最初の「だん通」更新。
最低週一回の更新を心に誓い、日々奮闘中の私 だん馬鹿さん。
オフシーズンは、特に入魂式や地車関連イベントもなく、時事ネタに事欠く次第・・・(辛)。

しかし、今年も時事ネタを書くことができる季節がようやくやってきましたぁ~。

それは、この前の日曜日、3月4日におこなわれた岸和田市旧市地区 紙屋町地車の町内搬入。
紙屋町の目と鼻の先、同市中之濱町に作業場を構える《あまの地車製作所》天野三郎 匠の元で、修理されていましたが、ようやく修理が終わり町内へ搬入されました。

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工務店から町内へは、搬送車に積まれて行くのが一般的ですが、紙屋町と中之濱町はお隣同士。
そんなこともあって、当日は曳行されて町内搬入と相成りました・・・(工務店に搬入される時もそうでしたが)。

午前9時に《あまの地車製作所》を出発し町内に搬入されると聞いていたので、眠い目をこすりながら、8時30分ころに作業場に到着。

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早くも、紙屋町の地車は作業場の前に出され、あたりは青年団をはじめ町内祭礼関係者、搬入を聞きつけた地車ファン・地車マニアの人たちでいっぱい。
ちょうど、置きコマから曳行用のコマに入れ替えを終え、太鼓や鉦を乗せたところのよう。

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私は、久しぶりに曳行風景をカメラに収めようと、町内に向けて曳行されるコースの途中、「そかい道」の大工町の信号のところへ先回りし、地車がやって来るのを待つことに。
こちらも、曳行風景を一目見ようと詰めかけた地車ファンでいっぱい。

日ごろからよく顔御合わせる面々と馬鹿話に華を咲かせながら待つこと15分、午前9時にようやく、笛・太鼓・鉦の鳴り物を天高く轟かせながら、子供たち、青年団をはじめ祭礼関係者諸氏の手で曳行された地車が姿を現しました。

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地車の飾り付けはおこなわれておらず、曳き手もハッピは着ていないものの、9月の祭礼そのままの曳行風景。

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浜側から大工町の信号で、「そかい道」を大阪方向へ「やりまわし」。

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信号から紙屋町の地車小屋までは数百メートル、無事到着と思いきや、スル~。
小屋前を通り過ぎ、次の大手町の信号を浜側へ「やりまわし」。

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その後、《あまの地車製作所》の前を通り、再び大工町の交差点へと戻り、云わば「そかい道」から浜側での周回へと突入。

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実は、そのコースを3周してから入庫との噂を聞いていたのですが、まさにその通り。

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途中で小休止をはさみ、この周回コースを3周半、延べ10回の『やりまわし』をおこない、9時45分ころに地車小屋に無事到着。

さながら、9月の祭礼そのもの。
町内まではわずかな距離ではあるものの、修理完成直後。
事故でも有ろうものなら一大事。
綱を握る青年団、前テコを持つ者、後テコの者らも、祭り以上に緊張感が漂っていました・・・。

小屋到着後には、祭礼での安全曳行などを祈願し、また事故などが起きぬようにお祓いなどの神事がおこなわれるのかと思いきや、今度は手早く、置きコマに入れ替え開始。

この頃から、ポツリポツリと雨が降りだし、祭りでもないのに集まった多くの地車ファンたちも蜘蛛の子を散らすように撤収。
コマの入れ替えが終わり、地車に雨用のシートが掛けられた頃には、町内祭礼関係者らと一部の地車マニアが残っているだけ。

私も同類に思われては、違う違う、雨に濡れ風邪をひいてはと、早めの撤収と相成りました・・・(笑)。

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ちなみに、今回の修理では、屋根の補修・後柱の交換などがおこなわれたよう・・・(違ってたらゴメン)。

今回の修理は、この地車の新調をおこなった《天野工務店》天野行雄 匠の実弟である三郎 匠に委ねられましたが、実は紙屋町には地車製作にたずさわる大工さんが二人いるのです。
一人は《北本工務店》棟梁の北本信広 匠。
もう一人は、《植山工務店》の脇棟梁 七野徳重 匠。
両匠ともに、自町地車への愛着は相当なものかと・・・。
しかし、こちらを立てればあちらが立たず、あちらを立てればこちらが立たず、結局は新調した《天野工務店》天野行雄 匠の実弟である三郎 匠に委ねることで相収まったのではと見る地車愛好者も。

そんなことは噂好きな一部の地車マニアの皆さんにお任せするとして・・・(笑)、まぁ~今年も地車シーズンがもうそこまで来てるちゅうことですわぁ~。

信濃屋お半だんじり通信
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