茶屋のだんぢり漫遊録

目次

今年も神戸の祭礼が終わりを告げ・・・・

どもぉー、だん馬鹿ですパー

来月下旬の当サイト スマホ版のサービス開始に向けて、当社スタッフ一同、連日連夜の作業でヘロヘロ・・・・(トホホ)。
私 だん馬鹿さんも新コンテンツ作成のため、PCとにらめっこの日々。

6月下旬には新コンテンツと共に、無事サービス開始にこぎつけられることを祈るばかり。
スマホへの買い替え予定の方々、スマホユーザーの皆さん、もうしばらくお待ちいただきますようお願い致します。
ちなみに、当面はアンドロイド端末のみの対応となりますので、iphoneユーザーの皆さんゴメンなさい!

さて、昨日・一昨日の神戸市東灘区 東明・浜石屋・上石屋の祭礼で、今年の神戸の春まつりは滞りなく終了。
昨日は久しぶりに、東明の地車を見に行こうかと思ってはみたものの、結局は行けず仕舞い。
来年こそはと、決意も新たにしたところで、今年も頻繁に足を運んだ神戸の祭礼を振り返って、私 だん馬鹿さんの特に印象に残ったことを今日は御紹介しましょう。

120528-1

それは、去る5月4日(金・祝)におこなわれた灘区篠原地車の生誕八十周年記念式典

120528-2

篠原の地車は、昭和7年に岸和田の《絹屋》絹井楠次郎 匠の手により製作された『神戸型』地車。
彫物は、関東から来岸した一元林峰の一番弟子で師の助として活躍した佐生武之輔。

120528-3

120528-4

その地車も、今年新調から80年目の年を迎え、この日、記念式典が厳島神社の境内でおこなわれました。

前日・前々日は、同区河内國魂神社(五毛天神)の祭礼。
5月2日は雨のため、地車の曳行は中止。
しかし翌3日は天気も持ち直し、五毛・畑原・上野の三台の地車とともに、篠原の地車も河内國魂神社へ宮入り。
その時、地車の前には「祝 篠原地車生誕八十周年」と記された垂れ幕が取り付けられていました。

120528-5

翌日午後からの記念式典には、なんと河内國魂神社の宮本にあたる五毛の地車がお祝いに、篠原の地、それも厳島神社まで曳行し、同神社に宮入りをおこない、晴れの祝いの席に華を添えると言うサプライズ。
前日の曳行疲れもなんのその、午後2時30分、篠原に向け、五毛の地車はスタート。

120528-6

坂の多い神戸の街、御多分にもれず、五毛も篠原も、いたるところ坂だらけ。

120528-7

午後3時20分には厳島神社の下に無事到着。以外にも早かったような・・・・。
参道の急な石段の下で、地車の前を持ちあげ、「しゃーんとせぇー」。

120528-8

境内では、篠原の地車が五毛の地車の到着を今か今かとお待ちかね。

そして、これからが難所中の難所、神社東側の急坂を上らなければ、厳島神社の境内に地車は入れません。
篠原の地車とて、この坂を登るのは至難の業・・・・。
果たして上手く上りきれるのかと、篠原の方々のみならず、見物に訪れた地車ファンも固唾を飲んで見守っていたことでしょう。

120528-9

坂の下でしばし休憩の後、坂上りの開始。
坂の上からは、神戸の街、大阪湾が一望できる絶好のスポット。

120528-10

その分、坂の傾斜も半端ではありません。
一度も止まることなく、およそ4分で坂を上り切り、無事神社境内へと到着。

120528-11

拝殿の前で、篠原と五毛の地車が向かい合わせになり、二台そろって「しゃーんとせぇー」。

120528-12

その後、挨拶・祝辞・来賓の紹介などがおこなわれ、締めくくりは鏡開き。

120528-13

夕刻を過ぎるまで、祝宴は続いたそうで、五毛の地車が曳行にて地車庫に到着したのは日もどっぷりと暮れた頃であったんだとか・・・・?

坂を上れば、帰りは下り。
どちらかと言えば、下りの方を見たかったのですが、あとに撮影が控えていたためにあえなく断念。

日ごろ御目にかかれない光景だけに、得した気分で、篠原の地を後にしました。

篠原の皆さん、新調八十周年おめでとうございました。
五毛の皆さん、お疲れさまでした。エエもん見させてもらいましたわぁ~!

ほな、今日はこのへんで・・・・。

信濃屋お半だんじり通信
<<前の記事 次の記事>>