茶屋のだんぢり漫遊録

目次

東灘区御影 西之町へ、木下健司 師とともに・・・・

どもぉー、だん馬鹿ですパー

18日のスマホ(docomoアンドロイド系端末向け)版『だんじり』の配信開始に曳き続き、本日は auアンドロイド系端末向けの配信がスタート

「スマホでは、見れないんですか~!?」、「スマホに変えたら、見られへんやン!」などと、あちらこちらでご指摘をいただいておりましたが、やっとのことでスマホ版『だんじり』の配信にこぎつけることができました。

これで、ケータイ版・スマホ版・PC版(だんじり eo SE)と弊社が配信する地車総合サイト『だんじり』三兄弟が堂々のそろい踏み!

ところで、「 iPhone は、どないなっとんじゃい!」とお怒りのあなた、もうしばらくお待ちください!
今のところ時期は未定ですが、au/Softbank の iPhone 向け『だんじり』の配信もちゃあ~んと視野に入れておりますので御心配なく。

さて、スマホ版『だんじり』についてはこのくらいにして、今日の本家『だんじり通信』は、他のだんじり系無料サイトやブログではめったにお目にかかれない、レポートをお届けしましょう。

まぁ~、スマホ版『だんじり』配信開始記念スペシャルブログでおます・・・・(我ながらおおげさやなぁ~)。

GWの神戸の祭礼が終わった5月のとある日のこと、日ごろからこのサイトに御協力いただいている河内長野市在住のK氏からの電話・・・・。
「祭りの時に、木下の健司くんらと御影西之町へ行ったら彫物の修復の相談されて、修理してもらうことになったんやけど、だんじり見せてもらいがてら一緒に行く?」とのお誘い。

日ごろから、御影西之町の方々とは厚意にしているK氏。
また西之町に行ってきたんやと思いながらも、これはまたとない機会、「是非ともお願いします!」と、即返答。

「木下の健司くん」とは、この春、父 賢治 師の跡を受け、《木下彫刻工芸》を背負って立つことになった木下健司 師
祖父は、地車彫刻界きっての名工、あの木下舜次郎。
その若き親方が、彫物つづくりに神戸まで出向くのですから、それに同行できるのは夢のようなお話し。

親方ともなると、出仕事は新調地車の見送りの組み上げや最終確認に工務店に出向くくらいで、彫物の欠け継ぎなどの出仕事は若い職人さんが出向くのが常・・・・。
親方自らが、それも町内の地車小屋まで出向くのは、前代未聞と言っても過言ではあるまいか。

西之町の地車小屋を訪れたたのは6月10日の日曜日。

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私が地車小屋に到着した午前10時すぎには地車小屋が開けられ、地車の傍らで新川 師・谷口 師、二人の職人さんを伴った健司 師が早くも作業にかかられていました。

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西之町の地車は、昭和3年に新調された『神戸型』地車。

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製作を請け負ったのは、兵庫県淡路島の《大歳》二代目 大歳茂平。大工仕事は、木長為吉 匠。
彫物は、これまた淡路の名工 開 正藤と、その子 生ミン(王へんに民)師の手によるもの。

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開 親子は、淡路のみならず泉州地域にもその名を残す地車・太鼓台彫刻の名工中の名工。
木下健司 師は、「生で見れば勉強になる。それも実際に触れれば、これ以上の勉強は無い」と、今回の彫物修理を快く引き受けたのだとか。

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それも、西之町地車の彫物が名工 開 親子の手によるものであるがゆえ成し得た業かと・・・・。

祭礼時に見ていただけでは気付かなかったのですが、正面車板に彫られた『天岩戸』も、失われていた肝心の「八咫鏡(やたのかがみ)」も手際よく製作され、見事に修復。

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町の方々も、その多さと見事に修復されていく手際の良さに驚かれていた様子。
欠損箇所も予想外に多く、三人がかりで一通りの作業を終えられたのは午後2時を過ぎた頃。

そして、この日のサプライズは新調当時に付けられていた大屋根正面の懸魚『伊邪那岐・伊邪那美命、国生み神話』をわざわざ長持の中から出してくださり、見せていただけたこと・・・・。

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新調の翌年には現在のものと付け替えられたそうで、あるとは聞いていましたが、まさかこの日見られるとは、思いもよらなかったビッグプレゼント。

《木下彫刻工芸》の面々が引き上げた後も、夕刻まで西之町の方々と地車談義に華を咲かせた私 だん馬鹿さんなのでした。















信濃屋お半だんじり通信
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