茶屋のだんぢり漫遊録

目次

中神車、平成の大修復完成・・・・

どもぉー、だん馬鹿ですパー

昨日は、サーバーのメンテナンス作業が終了予定時間を大幅に過ぎても、当サイトへのアクセスができず、ユーザーの皆さんに大変ご迷惑をお掛けしました。
今朝からは、ケータイ版には影響はないものの、スマホ版『だんじり』へのアクセスが非常に困難な状況が続いています。
特に、au のアンドロイド系端末からのアクセスはほとんどできないような状況。
復旧へ向けて弊社職員フル動員で原因を究明中。
早期復旧へ向け、奮闘中の案配。
多くのユーザーの皆様にはご迷惑をお掛けし誠に申し訳ありません。
このブログもご覧いただけるのかどうか心配ではあるものの、まずは本日の『だんじり通信』の始まり始まり・・・・。

去る6月23・24日(土・日)の大阪市鶴見区 古宮神社の「夏越大祓」での浜地車の曳行で始まった今年の夏のだんじり祭。
今週末から、いよいよ本番へ突入といった様相。
城東区 諏訪、東住吉区 育和、守口市大枝、奈良県大和高田市 奥田などでは、今週末に地車の曳行がおこなわれます。
このほかにも、祭礼本番を前に試験曳きのおこなわれる所も多く、鉦や太鼓の音が町中に木魂することでしょう。

当サイトでは、どこよりも正確にをもっとうに『祭礼カレンダー』・『祭礼暦(スマホ版)』を好評?配信中!
ユーザーの皆さんには、有意義に活用され、一台でも多くの地車を目の当たりにしていただきたいものだと思っている私 だん馬鹿さん・・・・。
その勇壮さ、素晴らしさを堪能あれ!!

さて、今年の夏まつりの注目はなんといっても、西淀川区野里 中之町の地車中神車・・・・。
昨年の夏まつり終了後、岸和田市の《大下工務店》にて、新調以来初めての大掛かりな修理がおこなわれていました。

この地車は、昭和30年に岸和田市の《植山工務店》植山義正 匠の元で製作された見送り三枚板式の『大阪型』地車。
彫物は、彼の名工 木下舜次郎や金光 要などの手によるもの。

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地車本体の大きさもさることながら、「獅噛み」・「柱巻き」・「三枚板」をはじめ、どこをとっても迫力満点。

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その豪快さと彫物の多さは、当時の野里の他町や周辺地区の者たちを驚かせるほどであったとか。

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しかし、この地車も社会状況の変化などにともない昭和43年の曳行を最後に曳行休止。
その後、夏祭りには野里住吉神社の境内に地車を出すものの、曳行はおこなわれず地車囃子が披露されるのみ。

野里の町がマスコミで紹介されたことをきっかけに、昭和52年には曳行が再開されたものの、くしくも翌昭和53年1月11日に心ない者の放火により地車小屋から出火。
この名地車も、全焼は免れたものの、屋根廻りや見送りは焼けただれてしまいました。

時は流れ、平成元年に曳行復活。
有志らの手で修理され、曳行は再開されたものの、焼けただれた彫物は見るも無残な有り様・・・・。

地車新調当時に関わった長老たちから、新調50周年を機に大修理をとの声も上がったようであるが、事は思うように進まず。
その声を絶やさぬようにと、保存会を結成したのは、この地車の全盛期、昭和30年代をこの地車と過ごした当時の子供たち。
それぞれの幼少の頃の思いがそうさせたのか、坊主頭の少年たちも六十に手が届きそうな年代に・・・・。

そしてようやく、昨年に大修理が決定。

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平成23年8月7日の午前中に抜魂式がおこなわれ、午後から岸和田の《大下工務店》に向けて搬出。

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およそ10カ月に渡る修理期間を経て、去る5月20日(日)には修理を終えた中之町の地車が町内に搬入されました。

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そして6月3日(日)には、晴れの大修復入魂式がおこなわれました。

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新調当時の姿そのままに、野里住吉神社の拝殿前に据え置かれた地車に、役員をはじめ町内の方々、詰めかけた地車ファン達からも驚きの声が・・・・。
この地車を知る誰しもが、想像以上の修理の出来栄えに驚かれたことでしょう。

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午前中に神事がおこなわれ、午後からはお披露目曳行。

大修理・お披露目曳行の詳細は、次回『だん通』でのお楽しみ・・・・。
ほな今日は、このへんで。

信濃屋お半だんじり通信
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