中神車、平成の大修復完成・・・・その弐
どもぉー、だん馬鹿です

梅雨の晴れ間、先日の真夏を思わせるような好天が嘘のような、今日の天気。

今日・明日におこなわれる、平野区杭全神社の夏まつりでの地車曳行を皮切りに、8月1日あたりまで、大阪市内はもとより、東大阪・八尾・柏原などの各地で地車の曳行がおこなわれます。

特に今年は、今週末に祭礼が集中。
少数精鋭の我ら撮影部隊は、撮影計画にも悪戦苦闘。
くまなく、全ての地車を紹介したいのはやまやまではありますが、なかなか思うようにいかないのが日常茶飯事。
この季節の大敵は、ゲリラ豪雨


特に雨は撮影機材故障の原因。翌日の撮影にも支障をきたすだけに、要注意。
また、熱中症対策も心掛けないと、命を落とす大事にもなりかねません・・・・。
地車を曳く者・見る者も、地車に熱中するあまり、水分補給を忘れてたなんていうことのないように、くれぐれも御注意のほどを!
さて、今日の『だんじり通信』は、前回に引き続き去る6月3日(日)におこなわれた大阪市西淀川区 野里中之町地車(中神車)の大修復完成入魂式の話題です。
前回は、大阪屈指の名地車、この中神車の歴史などについて簡単に触れてみました。
そして今日は、修理の全容やお披露目曳行の様子を紹介しましょう。
今回の修理は、昭和53年の悲劇とも言える出火により焼け焦げた地車を新調当時の姿へ戻す、言わば完全修復。
昭和63年の境内での展示、平成元年に曳行が再開される前には、有志らの手によりブラシが掛けられ、焼け焦げた部分やすすを落とすなどの作業がおこなわれ、また、平成19年には焼け爛れた左右の脇障子が彫替えられましたが、大掛かりな修理は今回が初めて。

修理にあたったのは、岸和田市の《大下工務店》大下孝治 匠。
本体の洗い・締め直しをはじめ、焼け焦げた部材の交換などがおこなわれました。
形は留めていたものの、損傷個所は多く、一部の彫物は新調交換。
特に損傷のひどかった左見送り三枚板の「日本武尊、熊襲征伐」は彫替えられ、見事に新調当時の姿に復元されました。


獅噛みも、三面ともに新調。これまでの木下舜次郎の手によるものを忠実に再現。

地車小屋には取り外されたこれまでの獅噛みが置かれていたにも関わらず、「舜さんの獅噛みは、いつ見ても厳ついなぁ~」と、新調された獅噛みを見ながら唸られた地車マニアもおられたようで、その寸分違わぬ精巧さには驚く限り。
新調彫物や欠損部分の欠け継ぎなどは、大阪市生野区の《辰美工芸》が担当。
それにつけても3DのNC旋盤には、いつもながら驚かされるばかり・・・・。
他にも、小屋根の懸魚や縁葛も新調されたよう。

大阪市内屈指の横綱級地車と云われていただけに、修理の出来栄えは?と、我々地車ファンの間でも話題騒然・・・・。

舜さんの十八番、見送り三枚板正面の「川中島」の彫物もご覧の通り・・・・。

枡合や虹梁などの一部には、まだ焼け焦げた傷跡が残るものの、拝殿前に停め置かれた地車は、新調当時そのまま。
想像を上回る仕上がりに、我々地車ファンも胸を撫で下ろしました。
午前中の神事・式典のあと、午後からはいよいよ御披露目曳行。

役員さんからの挨拶、手打ち、記念撮影などがおこなわれた後、午後1時30分に野里住吉神社を出発。

野里の町内を太鼓の音高らかに、横綱の風格漂う地車は若者たちに押され進んんで行きます。

「あのまっ黒けのだんじりが、こんなにきれいになるんやなぁ~」と、新調当時の面影を浮かべながら感慨深げにご覧になっていたお年寄りもおられたそう。
途中、祭礼時の「追い合い」さながらに、地車を前へ後への全力疾走。

地車の後部を持ち上げ、コマのように回転させる「マイマイ」も披露。

野里の町は、少し早い夏まつりの様相に包まれていました。
御披露目曳行も、午後4時には無事終了。

地車小屋のある神社境内でも、宮入りさながらに、前へ後へ猛ダッシュ。

「マイマイ」も、時を忘れるかのように、廻る廻る・・・・。

その時間、なんと十数分・・・・。
最後は、神社拝殿前の太鼓橋を渡り、宮入り完了。

辺りからは、惜しみない拍手が贈られていました。
来る7月31日・8月1日の祭礼では、我々の前に横綱級のその姿を見せてくれることでしょう。
中神車にたずさわってきた者にとっては、悲願ともいうべき今回の大修復事業。
永年の苦労が実を結び、万感の思いのことでしょう。
先人たちから受け継いだ大阪屈指の名地車を幾久しく、無事曳行されますことを願いながら、今日の『だんじり通信』は、これまで・・・・。
この度は、おめでとうございました。
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